家でのリモートワークはいいことがいっぱい。朝ゆっくり起きられて、部屋着のまま仕事を始めることができる。周りを気にせず好きなときにお菓子を食べたり、ゆっくりトイレに行ったりできる。対面からwebに変わってきているので、出社せずに会議に参加できる。IT系の仕事をしていて、今の出向先ではリモートワークが可能。でも、謎に「出社するのが当たり前」を押しつけてくる空気がある。

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リモートワークしていいはずなのに言いづらい。最初に挙げたメリットは、私にとってはオプションに過ぎない。私が家でリモートワークをしたい本当の理由は、体調面の不安があるから。過敏性腸症候群や生理の症状。他にも、病名がつけられない体調不良に悩んでいる。健康診断は全然引っかからないので、体調のことを理解してもらうのはなかなか難しい。「病は気から」と言うように、私の場合は溜め込んだストレスの度合いや疲労などによって症状の重さが変わるから尚更厄介。コンディション最悪のときに電車で会社へ向かうのが1番の試練で、無事に職場へ到着した頃には一仕事終えた後のような気分になる。

出向先の社員は好きなようにリモートワークしている。出社予定だったのに当日急に切り替えても、誰からも何も咎められることはない。だから、昨年の夏に体調が悪くて事前に申し出たにも関わらず、理不尽な思いをしたという出来事に私はいまだにモヤモヤしている。何だか不公平だし、たまに思い出しては「マジで許さねーぞ!!!」と込み上げてくる怒りを仕事の原動力にしている。業務内容も人間関係も悪くないので、できるだけ今の出向先にいたい。もうすぐ出向して3年が経つ。「リモートワークをしたい」と言いづらいことを我慢すれば、余計な荒波を立てなくて済む。根性で乗り切るしかないと諦めていたけれど、そんな思いをする日々はある日突然終わりを迎えることになった。

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12月半ばのその日、体調が微妙だったけれど、私は何とかなると我慢して出社していた。お昼の時間は上司と世間話をしながら談笑。午後になると、身体に異変が出てきた。気持ち悪くて少しの間、トイレにこもった。落ち着いてきたので自分の席へ戻り、症状に合う薬を飲んだ。一向に体調は良くならなかった。家でリモートワークをしていればベッドで横になれるので、様子を見ながら仕事をすれば問題なかった。でも、残念ながら今いるのは自宅ではなく会社。横になることなんてできないし、どんどん体調は悪くなっていく。「早退しようかな」と考えていた矢先に身体の力が抜けていき、目の前が真っ暗になった。

数年前に亡くなった祖母の顔が見えた。「もしかして、私は死んじゃったの?」と驚いていると、祖母の顔がだんだん大きくなっていき、急に消えてしまった。すると、今度はザワザワと何か聞こえてきた。目の前がだんだん明るくなってきたので、そっと目を開いてみた。自分が床に横たわっているのが分かった。そして、周りには心配して集まった社員や出向者たちがいた。職場で初めて倒れ、救急車にも初めてお世話になり、とんでもない一日だった。生きていてよかったと思うと同時に、私は「もう何を言われてもいいから、今後は無理せずに在宅勤務をさせてもらおう」と心に決めた。

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私が倒れた件は思っていた以上に大ごとになっていて、出社すると色んな人に声を掛けられた。「出社して大丈夫なの?無理しないで!」「頑張りすぎないようにね」とやや真剣な顔で言われながら、「心配されるだけで終わるんだろうな」と思っていた。でも、会社は今回のことでどうやら私の身体のことを理解してくれたらしい。「少しでも変だと思ったら、我慢しないで切り替えていいから」と、今までが嘘のようにすんなりリモートワークできるようになった。それからというもの、働き方が見直されたようで、私以外の出向者も体調が優れないときはリモートワークしやすい雰囲気に変わっていった。

今回のことがなかったらきっと、ずっと我慢し続けなければならなかったかもしれない。もう二度と倒れたくないので、遠慮なくリモートワークさせてもらうつもり。「出社するのが正義」の時代はもう終わりでいい。対面の機会が必要なこともあるけれど、我慢させてまで出社が正義だというのは悪でしかない。時代が進んでどんどん便利になってきているのだから、今までの習わしに固執するのではなく、それを有効活用しながら働けるように変えていくべきだと思う。