キラキラとした目、ゴールドに輝くふわふわの毛並み、ずっしりとした手足。もしもう一度だけ会えるなら、その体をぎゅっと抱きしめて離さないだろう。

小学校3年生のとき、私の家にやってきたゴールデンレトリバーの"もも"。ころころとした丸い体はまるでぬいぐるみのよう。けれどアンバランスなほど太い手足が愛らしくて、はじめて会った瞬間のことを今でも鮮明に覚えている。

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ももは、私にとって“妹”のような存在だった。だけど成長はあっという間。ももが1歳になる頃には、私と体重が変わらないほど大きくなっていた。

それでも、性格はいつまでも甘えん坊で、家族が大好き。嬉しいときは、しっぽをちぎれそうなほど振って全力で喜びを表してくれた。とくに「お散歩行こうか」と声をかけると、ぱっと目を輝かせて、くるくると回って喜ぶ姿は見ている私の方が幸せな気持ちになった。

そんなももが、私の悲しみに寄り添ってくれたこともあった。落ち込んで家に帰ってきた日、誰にも会いたくなくて部屋に閉じこもっていた。すると、静かに扉を押して入ってきたももは、まるで「そばにいるよ」とでも言っているかのようにそっと私の隣に座り体をくっつけてくれた。その温もりに、自然と涙が溢れた。

夏の日には川遊びにも出かけた。泳ぐことが大好きなももは、川を見ると一目散に走り出し、誰かが教えたわけでもないのに上手な泳ぎを見せてくれた。とても楽しそうにバタバタ泳ぐ姿に家族みんなで笑ったあの夏は、今でも私の宝物。

私が悲しいときはそっと寄り添い、楽しいときは一緒になって喜んでくれたもも。ももがくれた愛情に対して、私はちゃんと応えられていただろうか?

もっと一緒に過ごせばよかった。もっといろんなところに連れて行ってあげたかった。もっと、たくさん「大好き」って伝えればよかった…。後悔ばかりが、あとからあとから溢れてくる。

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ももが旅立って、もう9年。最期の数日はなにも食べられず、歩くのもやっとだったけど、それでも私たちのそばにいてくれた。小さくなった背中を撫でながら「ありがとう」と何度も伝えたけれど、本当はもっともっと伝えたかった。

今でもふと鏡に映る自分に問いかけたくなる。「あのときの私は、ももにとっていい家族だった?」って。そんなある日、おじいちゃんが静かに言った。

「最後にもう一度、もう一度だけ犬を飼いたい。それが夢なんだよ」

胸がぎゅっと締めつけられた。ももを失ったあのときの喪失感は、家族全員の中に深く根付いていたから。でも、おじいちゃんの「最後」という言葉が、ずっと耳から離れなかった。これで夢を叶えてあげられなかったら、きっと私はまた後悔する。

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家族で何度も話し合い、お互いに支え合うことを約束して、もう一度、わんちゃんを家族に迎える決断をした。名前は“ウニ”。

トイプードルとペキニーズのミックスで、その小さな体には好奇心がぎゅっと詰まっている。ぴょんぴょんと跳ね回り、いたずらも多いけれど、その存在に毎日が明るくなる。ももとは見た目も性格もまったく違うけれど、家族を笑顔にしてくれる力は同じだ。

ウニが家に来た初日、もものことを思い出して少しだけ涙が出た。でも、その涙のあとには、懐かしくてあたたかい気持ちが心に残った。

ウニと過ごす日々は、ももが教えてくれた愛し方、寄り添い方、全てが活かされている。だからこそ、私は思う。「ももがいたから今の私があるんだ」と。

もう一度会えたなら、ももに伝えたい。ねえ、もも。私はあなたにとっていい家族だったかな?私はあなたのことをずっと忘れない。今もずっと、大好きだよ。