「母なのに」と、子どもを預けることに罪悪感を感じてしまうけれど

「今日、休める?」
子どもの体調が悪くて保育園から連絡が来たとき、真っ先に動くのはいつもわたし。夫に連絡をすると、「今日は無理」と一言。たったそれだけで、役割はわたしに決まる。
夫も忙しいのは分かっている。でも、わたしもフルタイムの正社員。条件は同じだ。仕事の予定が詰まっていても、リスケして、周囲に誤って、どうにか穴をあけないようにやりくりする。
「お母さんの方が、調整しやすいでしょ」
そう言われれば、なんとなく納得してしまう自分がいる。
だけど、本当にそうだろうか。
「母親が休むのは当然」
「父親が休むとありがたがられる」
同じ“親”であるはずなのに、ここには確かに性別の差があると感じる。
夫は「今日は無理」というだけで済むのに、わたしが同じように「無理」といってもどうにもならない。そしてなんとなく、出来る限り自分でやらなくてはという空気が、社会全体に漂っている気がする。
わたしは、保育園に通っている2人の娘の母親だ。好奇心旺盛で元気いっぱいの姉と、意志の強い妹。彼女たちの成長を日々見守りながら思う。彼女たちが大人になったとき、「母だから」という理由で何かを我慢してほしくない。「女だから」ってだけで、役割を押し付けられる世の中であってほしくない。
そう思う一方で、「もっと子どものことだけを考えられたらいいのに」と悩む自分もいる。「この仕事、いま投げ出せないんだよな」と思ってしまうこともある。そんな自分を責めて、「母なのに」と、自分に言い聞かせてしまうときもある。
制度として、ファミリーサポートや病児保育は整ってきたと思う。本当にありがたいことだと思う。でもどこかで、「それに頼ってしまっていいの?」と立ち止まる自分もいる。母親である自分が、他人に子どもを預けることに、後ろめたさを感じてしまう瞬間がある。
きっと、それはわたしが元・保育士だからかもしれない。子どもにとって、体調を崩して不安なときに一番そばにいてほしいのは「親」だということを知っている。「大丈夫だよ」と抱きしめることで、子どもが安心して眠れる場面を、何度も目の前で見てきた。
だからこそ、母である自分が自分を責めてしまう。頼れる制度があっても、頼るという選択ができない。それが、母という役割に課される“見えない圧力”なんだと思う。でも、母親が全部を抱え込まなくていい世の中になってほしい。わたしはそう願っている。
「ひとりでやらなきゃ」という気持ちから自由になって、頼れる制度や人をもっと自然に使える未来を、娘たちには生きてほしいから。
わたしは母であり、働く人間であり、ひとりの女性でもある。どれも大切なのに、どれかひとつしか許されない空気が、まだこの国にはあると感じる。
だから、わたしは声をあげたい。目の前の不公平に対して「おかしい」という勇気。罪悪感を抱えることなく、「今日はわたしも無理」と言える勇気。
母として、ひとりの人として、わたしはその強さを持ちたい。
そして娘たちに伝えたい。
「“女だから”って言葉で、自分を小さくしないでいいんだよ」と。「どんなときも、自分を信じて声をあげていいんだよ」と。
わたしたちの強いとこ。それは、“当たり前”とされているものに対して、ちゃんと立ち止まり「それって本当にそう?」と問い続けられること。そして、わたしはその強さを娘たちに渡したい。
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