上京の日、空港の出発ゲートで母が私の手に一枚の封筒をそっと押し付けた。
「落ち着いたら、読んでね」
その声は優しく、けれどどこか寂しげで、混雑した空港のざわめきの中でも、その瞬間だけは不思議と静かに感じられた。
私はただその言葉に頷き、少し汗ばむ手で封筒を受け取った。母の笑顔がほんの少し潤んでいるように見えたのを今でもはっきり覚えている。これから始まる新生活への期待と不安が入り混ざる中、母の手から伝わる温もりが妙に心に残った。
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飛行機が滑走路を離れ、地上の景色が小さくなっていく。街並みが遠くなるにつれ、胸の奥にぽっかりと穴が開いたような心細さが押し寄せてきた。そんなとき、私はそっと封筒を取り出し、封を切った。
「これからどんなことがあろうとママや家族が見守って助けるからね、頑張りすぎてしまう性格だから、ある程度妥協も大事だよ」
その文字は母の優しさが感じられる美しい文字で綴られていた。その言葉は私にとって、一本の糸のようだった。離れていても切れることなく、私を支え、つながりを感じさせる温かい糸。上京への不安が少しずつほどけ、私はその糸を力強く握りしめるような気持ちで窓の外に広がる雲海を見つめた。そして、私は心の中でそっと誓った。
「ここから新しい自分が始まるんだ」と。
新しい環境の中で私は、「知らない自分をもっと見てみたい」という一心でさまざまなコミュニティに飛び込んだ。そのすべてが私にとって未知の世界だった。時に壁にぶつかり、もがき、立ち止まることも少なくなかった。努力が報われないように感じて、自分の無力さに涙を流す夜も少なくなかった。自ら選んだ道に自信を失いかけたこともある。
そんなとき私は決まって母の手紙を開いた。あの言葉がどれほど私の背中を押してくれたかわからない。「見守られている」という安心感が、また一歩踏み出す勇気をくれる。手紙を読み返すたび、母の声が聞こえてくるような気がした。そして、たとえ離れていても無条件の愛がそばにあると感じさせてくれた。
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上京してから数ヶ月が経ち、改めて振り返ると、あの手紙は私の日々の生活にそっと寄り添い続けてくれた存在だったと感じる。進路に悩んだとき、仲間とぶつかったとき、心が折れそうなとき、どんな場面でも、あの言葉が頭をよぎるたび、不思議と勇気が湧いてきた。
自分を追い詰めがちな私にとって、その言葉は許しと癒しの象徴だった。母は遠く離れた場所から、まるで私のすべてを見透かしているかのように、必要なときに必要な支えを与えてくれていたのだ。
この母の言葉は直接的に私を変えたというよりも、困難に直面した時の安心感や、自分を大切にする考え方を与えてくれたのだ。
今となっては、その手紙は何度も涙に濡れ、紙は柔らかくなり、すっかりくたびれてしまった。それでも、そのしわのひとつひとつが私のこれまでの抱えた葛藤や流した涙、そして重ねてきた努力を映し出しているように感じる。その手紙を見つめるたびに、私は新たな決意を胸に抱き、もう一度前を向くことができるのだ。
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あの日母から手渡された手紙は、ただの一枚の紙ではなかった。それは、どんな時も私を見守り、信じ続けてくれるという母の愛そのものだったのである。上京してからの葛藤や挫折の中で、その愛に何度も救われ、前に進む勇気をもらった。その愛があったからこそ、私は困難を乗り越え、自分を成長させることができた。
愛とは時に目には見えないけれど、確かに心に届き、人生を変える力を持っているのだと、私は信じている。母の愛に支えられながら歩んできた道のりを振り返ると、そこには一歩ずつ自分を築いてきた私がいる。そしてこれからも、その愛を胸に、挑戦を続けていきたい。