昨年、大学進学と同時に長野を出て上京してから、丸10年が経った。10年の間に暮らす街や住む部屋は何度か変わってきた。生まれ育った街から出たまま、学生が終わったタイミングでもUターン就職などでも戻ることなく私は“一応”東京で生きている。

◎          ◎

この10年から現在まで、住まいも仕事も概ねが「東京都」であるが、私は誰のためなのか、何のためなのか、いつも自身が身を置く「東京」に“一応”をつけてしまう。

それは実際に東京都の中でも都心ではなく、23区の外の都下に暮らし、働いているからだ。世間の大多数が想像する「東京」とはかけ離れたのどかさであり、きっと街の名前や駅の名前に都会らしい知名度はない、都心から遠く離れた「東京都」に私は生きている。

生まれ育った長野の故郷との差と言ったら電車の本数と車両の多さくらいしかない、のどかな東京都の田舎が生活圏内だ。私と同じように地元から上京して現在も関東近郊に残る同級生たちにすら「遠い」「田舎」と称されるほどの郊外に生きる私は、故郷へ帰るわけでもなく、あちこちからアクセスが良くて、誰もが知っている駅名の都会で華々しく働いたり暮らしたりするわけでなく、なんとなく東京の田舎へ流れ着いて生きている。

◎          ◎

「流れ着いた」という表現をつかったのは、自分で選んで移り住んで来たのではないという経緯があるのが理由であると、まるで言い訳のように書き記してみる。

私の学生生活も、就職も比較的郊外に於いて行われたのは単なる縁の巡り合わせであると考える一方で、都会に身を置けなかったことをコンプレックスに思うような自分も垣間見える。都会への憧れがなかったわけじゃない、しかし、都会で生きていく己が想像出来なかったし、都会へ自身を売り出して行かなかった。

きっとそんなことなどないのに、都会で活躍出来ない、ましてや暮らしていけない己は秀でていないのだという考えが浮かんでくることさえある。

それでいながら、己の根本にある田舎育ち故の都会への不慣れさや疲れもいつまでもある。たまに遊びや用事で出向いた都心の街に圧倒され、心許ない気持ちになることは今でもある。

こんな時、都会は私の生きる場所でないのだろうということが漠然と浮かんでくる。

◎          ◎

上京するまでの18年を鑑みれば、私の根本は田舎育ちであるから比較的郊外の街、混雑や人口の少ない地域は住みやすい。趣味のバイクに乗ろうと思う時も、都心では扱いづらい。きっと、程よくのどかで緑があるような地域が生きやすい体質なのだとも思う。

しかし、地元の同級生たちと近況を話し合う時、住まいのある街を告げる時、私はどこかで都会でない街の名を口にするのを恥じている気がしている。訪ねて来てもらおうとする時の乗り換えの多さや本数の少なさに引け目を感じている気がしている。

それは何がそうさせるのか。憧れと見栄がまだ、完全に打ち消せていないのだろうと思う。都会で生きていくことが出来ない自分が格好悪いと思っていることが消せない。都会で生きられるか否かが何かの物差しであると、呪いのように感じている自分がいる。

いまだに時々、住みやすさ、ひいては生きやすさと、他人への見栄とを天秤にかけては、私の生きる街の建物の低さや少なさにため息を漏らすことがあるのはいつの日かなくせるだろうか、なくしたいなと思う。

◎          ◎

そんな、田舎と都会の狭間や憧れと現実の狭間を漂う気持ちでいながら、とある勧めから我ながら思いきった決断で一昨年、“一応”東京都の田舎の街に中古の古家を買ってしまった。結婚もしていないし、当面はその予定もないし、一生住むつもりもないのに。

それでもまあ、築年数が己の歳よりも上回っているし、立派な新車の外車には負けるような価格の家屋だ。周りからは驚かれ、心配もされている突発的な無計画な買い物と思われている古家の購入は、この先がどうなるか分からないけれどこれまではいつも流されて、根なし草のようにして流れ着いた土地でなんとなく生きてきた私が実家以外に拠点として根を張れる場所を持ちたくて、少々無理をしておこなったことだった。

不動産投資だとか、そんなことが易々と出来る身ではないが、資産にも出来るようにと思っておこなった。これは見栄からおこなったことではない。私の経済力や生活スタイルでは田舎にしか家は持てないと思ったから。一生は暮らさないかもしれないけれど、場合によってはここで生きていっても良いように。
どこで、生きていくか。上京した歳から干支が1周してしまった今年30歳になる私は、あらゆる物差しと天秤の陰で、ひとまず買ってしまった中古物件の古家の中で、迷いに迷っている。