終の住処と思っていた町での出会い。選択は天秤が幸せに傾く方へ

昔から、「あなたはふらっと海外に行って、結婚して、そのまま海外で暮らしてそう」とか「海外が似合う」とか言われていた。今も、言われる。
ちなみに、私の見た目に海外要素は無い。真っ黒な髪に真っ黒な目、一重まぶたである。海外にルーツは無いし、把握している範囲の先祖は日本人だ。
だからだろうか。「この先、自分はどこで生きていくんだろう?」というのは、いつもどこかで考えている問いだった。
中学生くらいまでの答えは、「とにかく、ここじゃないどこか。私のことなど誰も知らない、自由な場所に行きたいから、そういう意味では海外が近そうかな」だったように思う。
要因は色々ある。麦わら帽子がトレードマークの主人公が活躍する漫画に憧れたこと。守る理由がわからない校則やスクールカーストのような暗黙の了解が窮屈で仕方なかったこと。思春期も相まって、家の居心地があまり良くなかったこと。色んな思いが重なって、「とにかくここではない、自由な場所」を求めていたのだと思う。
高校生になって、人生で初めて海外に行った。行先はヨーロッパだったが、良くも悪くもとにかく全てが衝撃だった。自分の知識も能力も自分が想定していたよりずっと低いことを知り、理想郷のように思えていた海外にも日本とは違う問題があることを肌で感じた。
そこから、「今の私は、どこでなら生きていけるだろう?」という問いが新たに生まれた。生きたい場所と、現実的に生きられる場所。そのギャップを少しでも減らせるよう努力しよう、と思った。
そんな私が大学生になった時、1ヶ月という短い期間ではあるが、フランスのとある街の寮で暮らす機会があった。挑戦の機会を逃したくなかった私は、必死でバイトし、親に頼み込み、フランスに行った。
人種差別を受けたり、「Yellow fever(黄色人種の人とばかり付き合う人を表すスラング)」に出会った。自分の無知や内面の弱さと向き合うことになったが、それと同じくらい楽しく興味深い日々だった。そして、日本に帰ってきた時に「ああ、日本だ」と安心した。そこで初めて「私は日本で暮らしたいんだな」と気がついた。
そして、社会人になった。異動で本社勤務となったことから、実家を出た。家までは1時間程度の距離ではあるが、私の中では初めての自立である。
家の場所は家賃と間取りで決めたし、治安はあまり良くないが、結構気に入っている。それまでに付き合っていた彼氏とは別れていたし、「結婚はそうしたいと思える相手がいれば」派の私は、「私の終の住処はここだろうな」くらいに思っていた。
そうして初の一人暮らしに奮闘しつつ、満喫していた頃、彼氏が出来た。隣の県で暮らしていて、いずれ家業を継ぐそうだ。
「結婚を考えてる」と付き合って早々に言われ、今もたまにそういう話になる。私も、今の彼となら結婚してもいいなと思っている。まだ付き合って1年にもなってないのに気が早いよね、と笑い合いながらも、ふとあの問いが頭に浮かぶ。
「この先、自分はどこで生きていくんだろう?」
これを書いている今も、自分の中で具体的な答えは出ていない。今までと違って問いが私だけのものではないこと、内容がもっと現実的になってきたことで、より難しくなった。だが、漠然とした方針は見えてきた。
選んだことで多少なりとも後悔はする。それでも、天秤にかけた時に幸せに傾く選択肢を選びとる。
この方針を胸に、私はきっと答えを出せる。
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