「あなた、心にナイフが5本くらい刺さっているからねぇ〜」
20歳のときに何気なく立ち寄った占い館で、笑いながら占い師の先生に言われた言葉だ。
彼女が言った「ナイフ」が「トラウマ」のことを指しているのであれば、私はその1本1本に心当たりがある。
それらは、いずれも私の生まれ故郷で刺さったものである。

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ざっと列挙すると、以下の五つが私にとっての「ナイフ」に当たるだろう。

学校で受けたいじめ、孤立していた頃の記憶(いくつかの罵倒や「2人1組になって〜」といった類の言葉には、今でも過剰反応してしまう節がある)。
友達が(ほとんど)いないことに対する劣等感(放課後に友達と遊ぶ、といった経験がほとんど無かった)。
外見へのコンプレックス(客観的に見ると所謂「ブス」に分類されるし、スタイルも良くないし、特に10代の頃は肌荒れが酷かった)。
漠然とした閉塞感、田舎特有の「見られている」感覚(近所や街を歩くとかなりの確率で知り合いを見かけるし、噂話もよく聞いていた)。
大学受験の失敗とちょっとした学歴コンプレックス(浪人をする勇気が出なかった私の弱さも含む)。

これらは、思春期から長きにわたって、私の心をずっと痛め続けてきた。
しかし最近になって、心に刺さったナイフが少しずつ無くなりつつあることに気づいた。
若造と呼ばれる年齢でも人並みに人生経験を積んだから、というのも多少はあるかもしれないが、最も大きな要因は「都会で暮らすようになった」ことだろう。

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曇り空の多い地域で生まれ育った私は、大学入学時に関西へ移り、就職に伴い今年の春から上京した。
別に、故郷が決して嫌いなわけではない。少なくとも盆と正月には帰省して、家族や親戚と近況を語り合っているし、テレビで故郷の観光名所が取り上げられていると、少しだけ誇らしくなる自分もいる。
しかし、「ナイフが刺さった」という過去の事実は変わらないし、今でもふとした時に当時の出来事がフラッシュバックしてしまい、感情の制御が出来なくなる時だってある。
私にとっての故郷は、こういったフラッシュバックの所謂「地雷原」みたいなもので、心身の健康を保つためには、避けて歩くに越したことはないのだ。

関西、そして東京に来てからの日々は、ナイフを抱えまくった田舎者の私にとって、衝撃の連続だった。
人が多い。青空が多い。車を運転しなくても不便じゃない。
そして何より、「誰も私の過去を知らない」。
都会における他人への適度な無関心さは、故郷で傷ついて小さく丸まっていた私の心を、長い時間をかけて私らしい形へと戻してくれた。
変形の原因となったナイフが「抜ける」というよりは、ゆっくりじっくり「溶けて無くなる」という表現の方が正しいだろう。
自分に、そして周囲や置かれた環境に対して怯えていた頃の私は、本当に少しずつではあるが、過去のものになりつつある。

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綺麗な空気や底抜けに美味しい海鮮が恋しくなる時もあるが、故郷に戻って仕事や家庭を得ることは、今のところ全く考えていない。
私は、故郷ではないどこかの街で、ナイフの痕が完全に癒えることを願いながら、今日も喧騒の中を駆け抜けていく。