サラサラ髪にしたばかりの破壊衝動。乙女心の気まぐれに身をまかせて

小さい頃は直毛で癖のない髪の毛だった。薬の副作用と加齢により、ところどころうねったりごわついたりするようになってきた今日この頃。
一時期はパーマやアイロンでカールをかけて誤魔化していた。それがだんだん面倒になってきて、ストレートパーマをかける算段になったのだ。
髪型を変えると自ずと心持ちも変わるので気分転換に良い。例え大幅にカットをしなかったとしても、形状を変えるだけでも違うと思う。
一度目に施術してもらった行きつけの美容室では、かかりが悪く翌朝起きると髪が乱れてしまった。与謝野晶子も目を丸くして驚くほどの乱れ髪で、寝癖治しスプレーで整えなければ外出が不可能なほどになったのだ。
ストレートパーマならぬストレスパーマになってしまい、これではダメだと思った。
そこで口コミの良い美容室を探して施術してもらうと、ツルツルのツヤツヤ、サラサラのトゥルトゥルの髪に大変身したのである。
手で触ると自分の頭ではないような感じで、まるで馬の尻尾でも触っているような感覚を覚えた。
「こんなに変わるのなら早くやれば良かった」と過去の選択を悔いたものの、そういえば直毛の頃はゆるふわパーマに憧れていたのだった。ないものねだりすぎる。
そして、二度目の施術から一ヶ月経った今も、またゆるふわパーマに憧れる心が芽生え始めている。
ああ言えばこう言うし、こう言えばああ言う。乙女心はいとかたし。
髪型を変えたくなるのはどんなタイミングだろう?と考えてみると、私の場合何が起こったからというわけでもない。
特に何の変わりもない日常の中で、突如思い立つ。今回はうねりやごわつきが気になって……という理由だったが、普段は思い立ったが吉日的な感じで前日に美容室の予約を入れる。
誰かに憧れたとか影響されたとかでもない。自分の中の破壊衝動がそうさせるのだろう。
芸術には破壊と創造が不可欠である。ファッションや髪型も同じかもしれない。
近頃は韓国風や平成後期のギャル風のヘアメイクが流行して長いが、いつかぐるっと一周して大正時代のようなひさし髪や耳隠しが流行する時代も来るのだろうか。
「流行はその時代の経済状況を映し出す」とか「眉毛の太さで景気が分かる」というのを聞いたことがある。確か小学生の頃母親に聞いた気がする。
"令和の米騒動"の最中にあるイマを経て、次の巷の流行はどのように変遷していくのか。
私はある時から流行を追わなくなり、誰かから見て遅れてようが垢抜けていなかろうがどうでもよくなってきた。
人の一時的な言葉や目線に一喜一憂していた頃よりも、かなり図太くなったなぁと自分で感心する。
自分が心地良くて、その時のマインドに合うような清潔な身なりをしていればいいのだ。いちいち他者や誰かが作ったブームに踊らされていては財布の中身が減るばかりである。
私の今のマインドに合った髪型はゆるふわパーマだ。流石にまだ変えるのはもったいないので、蝉の声が耳に闖入してくるまでは待とうと思う。
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