私が今回書くのは、髪型を変えるという行為の一つ、高校の頃の縮毛矯正との出会いだ。

私にとってこの髪に関するテーマには、特別な思いがある。というのも私はたぶん生きてきたなかで一番長く、というか唯一無二レベルの熱量で語れるコンプレックス部門だからだ。

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まず私は天然パーマ、いわゆる天パである。なぜか中学の時に突然天パになった。お父さんがもうそれはオシャレなパーマだわ、くらい立派な天パだったので、当時中学生だった私は「この天パ突然出現はお父さんの遺伝子のせいだ!」と解釈し、しばらくお父さんと口を利かなかったのが懐かしい。

今思うとお父さん不憫でかわいそうごめんと思うのだが、当時の私は、めちゃくちゃストレートに憧れをもつお年頃であり、汗をかいたり湿気のある日にうねりまくる髪、特に前髪への執着は恐ろしいものだった。私はうねってくるくるになる前髪を、「前髪サーフィン」と呼んでいた。

なので毎日通学前にそれをできるだけ出現しないために、コテで、今思うとそんなにまっすぐにしたら、おでこに食べるのりでも貼ってるようにしか見えないレベルの、黒髪ぎっちりまっすぐぱっつんに整えていた。でもしょうがないのだ。それが当時の私にとって最高可愛い前髪だったのだ。

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なんせ当時、私の憧れはきゃりーちゃんだったから。きゃりーぱみゅぱみゅのような前髪を目指した結果なのだ。私の前髪へのこだわりは常軌を逸脱するレベルであり、毎日家を出る前にその辺にある普通のはさみで長さを揃えてから通学していた。

今でも中学の卒アルを見ると笑ってしまうし、友達や男子に冗談半分でからかわれたりしてても、それが本当に可愛いと思っていた私にとって、心の底からなんとも思わずもはや私の美しい前髪がみんなに見てもらえてうれしい楽しいくらいの子だった。だから明るくて友達の多い子に私は育ったのだなと思うと、良い子で良かったとも思う。

そんな前髪をまっすぐにすることだけを考えて生きてきた(言いすぎ)私も中学を卒業し高校生になった。そこで運命の出会いをする。

 縮毛矯正だ。

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中学の頃は名前しか知らなかったし、親にそれを頼む勇気がなかった。

いつも切ってもらっていたお姉さんが遠くの美容院を移ることになってしまい、他の美容院を予約して行った高校1年生の夏。帰り美容院を出た私の髪の毛は、シャンプーのCMのようにサラサラになっていた。

「私、天パが嫌で、まっすぐになりやすいカットの仕方でお願いします」いつも言っていることだった。そしたらお姉さんがこう言った。この天パも十分可愛くて直毛からしたら羨ましいくらいだけど…

「そこまで言うなら、縮毛矯正かけてみる?」

確か高校生限定のキャンペーンかなんかですごくお安く施術をしてもらえるということだった。まだお母さんの保護下にあった私は、電話をかけた。

「縮毛矯正かけていい?」

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施術後、鏡を見たとき、自分の髪を触ったとき、なびく髪を見たとき、あの衝撃を忘れることはないだろう。こんなに簡単に髪の毛がまっすぐになるのか…これは魔法だ。

劇的な髪型の変化をした私は次の日高校に行くのが楽しみでならなかった。みんなから、「さらっさらだー!!」と言われたとき、もう嬉しくて、中学の時の私が報われたような気持ちもしたのを覚えている。今思うと、中学の時にかけておけば楽だったのに、とも思うがそれはもうタラレバだ。

サラサラストレートで過ごした真夏の球技大会は、暑いのに髪を解き、この上なく優越感と解放感に浸っていたのが愛おしい思い出、どこへ出かけるのも髪を下ろしていた気がするし、濡れた髪が乾いてもうねらないことに感動し続けていた。

くせ毛をサラサラストレートに変えたあの夏の経験は、私に間違いなく変化の楽しさと自信を与えてくれたと思う。

そんな私の髪は今どうなっているか。

天パ、くせ毛をそのままで生きている。その理由はまた次に書こうじゃないか…。