体重は増えたけど人生は楽しい。ケーキはおいしいしラーメンは幸せだ

今日はあと30g。あ、これは食物繊維入ってないからダメだ。ああもう21:00。今日は何も食べられない。うそでしょ、あの人この時間にラーメンって。え、っていうかすごいな。そのスキニーよく履けるな。
でもなんでそんな幸せそうなの?恋人がいるの?わたしはこんなに我慢してるのに。満たされない。まだ足りない。キレイになりたい。わたしは、今より少しの自信がほしいだけなのに。そうすれば、手に入るものが増えるのに。
これは3年前のわたし。
あの頃は、ただただ美しくなりたかった。世の中いくら性格といったってやっぱり外見。そう思っていた。顔はともかく、体型は努力。太ってるなんて甘え。標準体重なんて論外。
太っちゃだめだ。太っちゃだめだ。太っちゃだめだ。
1日中、そんなことばかり考えてた。いつも頭はぼーっとしていた。
でもよかった。その分誰かに認めてもらえているなら。
きっかけは2020年からのコロナ禍。週5日の通勤1時間は、フルリモートに切り替わった。1日の歩数は100歩未満。マンションの隅から隅まで大股で4歩。引きこもる毎日。
気づくとスキニーがきつくなった。体重は3キロ増えていた。
運動は嫌いだったため、とりあえず食事制限を始めた。1日の糖質量は100g。つまり1日のトータル糖質量は約ご飯2杯分。すると、きつかったスキニーにはゆとりが生まれ、体重はするすると落ちていった。
“もっと痩せたい”“このコロナ禍の間にもっとキレイになりたい”
さらに欲が出てきた。食事制限は加速し、1日は2食になった。
チョコレート、ラーメン、寿司、ケーキ。食べたいものは一切食べなかった。食べたら自分に負ける気がしたから。どこに行くのもすぐ疲れるようになった代わりに、日に日に写真写りだけがよくなった。
健康診断では「痩せすぎ」と診断された。努力が実ったと思ってうれしかった。ちゃんと自分に負けずにいられたと思った。
すると、不思議な優越感があった。わたしは客観的に見て「痩せている」でもない、「痩せすぎ」の評価なんだ。他人への目線も変わった。他人の体型をまじまじと見つめ、ジャッジするようになった。もともと斜に構える性格に拍車がかかった。見た目がすべて。いわゆるルッキズムに洗脳され、感情なんかどうでもよくなった。
そして久々にあの人と会った。1年前より緩くなった白のタイトスカートを履いて。
最近の近況を話しているとき、「なんか痩せたね」と彼が言った。わたしは、またこれまでの努力が実ったと思った。
しかし、1年前より話が弾まなかった。なんだか会話が頭に入ってこなかった。きれいになったはずなのに、以前より楽しさは感じなかった。会話の内容より、彼のフェイスラインが気になった。この人も自分に甘えているのだと思うと、段々と腹立たしくなった。
帰り道、緩くなったタイトスカートに甘えて、バニラアイスを買った。想像以上に甘いアイスを口にしたとき、訳も分からない涙が出た。
わたしの楽しみはどこにいってしまったのか。楽しみって何だったのか。こんなこと、わたしいつまでつづけるの?自分のことを肯定できる理由が、外側にしかなくなっていくの?この先刹那的で目に見える幸せと美しさばかりが、人生を食い尽くしていく気がした。
そして今。あの頃より体重は少し増えた。でも美しさとはほかに、至るところで幸せを感じられるようになった。
だからルッキズムが加速しているいま読んでほしい。美しさという目に見える美しさに弄ばれて、人生を犠牲にしないでほしい。ここ2、3年のわたし調べだと、外から見た美しさより自分を通してみる世界が幸せであること。その方が人生って数倍楽しい。2025年、ケーキはやっぱりおいしいし、夜中のラーメンって幸せだ。
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