季節の中で夏が一番好きだ。私がそう思うのは、幼少期に過ごした夏が楽しかったという記憶があるからだと思う。

夏休みは、母の実家のある新潟で過ごした。毎回1週間ほどだったが、夏休み一番の楽しみだった。
東京生まれ東京育ちの私にとって、新潟で過ごす夏休みはとても新鮮だった。歩いて行ける距離に海があり、街灯が少ないので夜は家の並ぶ通りでさえ真っ暗になった。スーパーの駐車場はやけに広いし、街の人は全然歩いて移動しない。見たことのない知らないローカルファミレスがあった。
大人になれば珍しいとは思わないことも、小さな私の日常にはないものであふれていた。

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母の実家は小さな商店だった。雑誌やたばこ、飲み物や駄菓子が小さい店内に詰まって並んでいた。お店の奥が居間になっていて、その先に台所、仏間、2階への階段と続いていた。台所は昔ながらのつくりで、様々な大きさの鍋やフライパンが掛けておいてあり、それを眺めるのが好きだった。

朝起きると祖母の作ってくれたご飯を食べ、だらだら甲子園を見ながら気づけばうとうとしていた。祖父はあまり喋らなかったが、お茶碗のご飯を残さずに綺麗に食べていたことははっきり覚えている。
近所のおばさんおじさんのところにおしゃべりに行ったり、家のガレージで花火をしたり、近くの海まで散歩をしたりした。お風呂からあがると祖母に「店から好きなジュースを持ってきていいよ」と言われ、ちょっと悪いことをしている気分になりながら、缶ジュースをもらって飲んだ。

寝る前にはテレビを見ながら、お菓子や枝豆や、祖母の作った漬物を食べた。祖母は毎回食べ切れるわけがないと思うほど枝豆を茹でてくれていたが、みんなで話しながら食べていると、いつの間にかなくなっていた。袋が皮でいっぱいになって、みんなで笑った。
夜は私たちが来る時以外は使わない2階の和室で眠った。家は静かで人通りも少ない道沿いにあるので、時々車が通ると音がよく響いた。
何をするでもなく、ただただ穏やかに時間が過ぎていった。私は夏を新潟の家で過ごすのが大好きだった。

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そのうち、祖父は車に乗らなくなった。祖母は寝る時に呼吸を助ける器具をつけるようになった。中学に上がる頃には商店はたたまれた。部活や受験が理由で新潟に行かない年もあった。
祖父は10年以上前に亡くなり、祖母は最近施設に入って暮らしている。私たち家族のことは覚えているようだが、少しずついろいろなことを忘れてしまうようになり、ひとりで暮らすのは難しくなっていった。あの家には今、誰も住んでいない。

私は、自分が大人になっていくことは、時間が進むことで、周りの人も等しく歳をとることだと忘れていた。私が好きだったあの夏のあの家が、あの台所が、その周りにいた人たちが、ずっとそこにあって変わらないだろうと、どこかで本気で信じていた。
当たり前だけど、そんなことはなかった。こんな状況が続いていて、新潟に暮らす親戚とも、親しい人たちとも、そして祖母とも、会えずにいる。

でも、あの家で過ごした記憶が今も鮮明だから、夏は楽しいものだと私に染み付いている。今年の夏をどう過ごすか考える度、あの夏を思い出す。