10代後半の私にとって、カバンや財布で3~5万円程度の価格帯のブランドは「背伸び枠」だった。憧れだったとも言える。

◎          ◎

しかし、たった数年でそれらのブランドはその枠から外れてしまった。むしろ「ちょっとダサい枠」として扱われることすら増えた気がする。

「大学生って感じ」「アウトレットのイメージが強い」なんて言われているのを目にすると、そんな……って気持ちが湧く。一方で、でもちょっと分かるな、とも思う。
私が年齢を重ねたせいでもあるが、それだけではないだろう。ここ数年で、世間が背伸びを強めているように感じる。

ちょっと前、SNSで「親がハイブランドの財布を買ってくれない。周りの子はみんな持っているのに」という趣旨の投稿がバズっていたのをよく覚えている。子供側の投稿だったか親側だったか忘れてしまったが、印象的な内容だった。

◎          ◎

その投稿を見かけた時点で私は既に社会人だったが、使っていたのは2万円台の財布だった。だから当然、「このキッズは何をおかしなことを言っているんだ」という感想を抱いた。

しかし、反応を見てみると意外と「買ってあげないのは可哀想だ」という意見も多かった。学校という閉ざされた空間で、周りが持っているものを自分だけ持っていないということがいかに惨めに感じるか。それを理解しようとしない親はいかがなものか、という主張だ。

そう言われると確かに、可哀想には思えてきた。この子が私立のセレブが多い高校に通っていたとしたら、そういう事態も有り得るのかもしれない。

◎          ◎

私も学生の頃、似たような思いを何度かした。と言っても小中高と地方の公立なので、こんなに激しい内容ではない。
小学校のときで言えば、クラスの女子のほとんどは1枚100円程度のカワイイ絵柄のついた雑巾を使っていたのに、私は百均で1袋3枚入りの無地だった。そんなことが大きな意味を持つ訳では無いと分かってはいたが、物悲しい気持ちを抱いていたのは覚えている。
だからこういう、周りの背伸びに合わせたい、という気持ちは否定出来ない。

だけど、やっぱりおかしいと思う。
普通の学生や社会人の金銭状況なら、5万円以下でも十分に大きな買い物のはずだ。驚くほどでないにしても、良い物を買ったね、という扱いを受けるべきだろう。

要するに、背伸びを強めた社会はおかしい。SNSが浸透したことで、持っている側の人間を目にしやすくなってしまったのも影響していると思う。
そんなものは気にせず、自分のセンスと価値観を抱き締めて生きていけばいいのだけど、それって皆が出来ることじゃない。

例えば自分の持ち物に対して、世間の背伸びに毒された側の人間から「あー、そのブランドね笑」みたいな嘲笑を受けたとしたら、その後も気持ち良くそれを使い続けられるだろうか。私には無理だ。アイツが馬鹿なんだ、と頭では理解出来るだろうけど、目に入る度そのときの記憶が蘇る。もう自然体で使い続けることは出来ないのだ。

◎          ◎

もちろん、ハイブランドのバッグを持ちたい人の気持ちも阻害したくはない。お金に余裕がある人や、そのためだけに貯めている人なら若くても無理なく持つことが出来るのだろう。

私が思うのは、等身大の買い物を当たり前に出来る社会になってほしい、ということだ。
SNSに惑わされず、一人一人が心から欲しているものを見つめられる余裕のある環境が、全国に広がってほしい。