接客業をやってみたくて複業として花屋で働き始めてから、もう少しで1年が経とうとしている。
金曜日と土曜日、たった週2回とはいえど、この週末花屋生活には正直なところ何度も心が折れそうになった。…いや、もっと正直に言えば過去形ではない。

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スタッフとして求められているレベルの半分も返せていない気がする。「向いてない」と何度も思う。ダメだダメだと自己否定的な気持ちばかりがふくれ上がって、店内にあふれている色とりどりの花々を愛おしむ余裕がちっとも湧かない。こんなに綺麗な花に囲まれているのに、なんてもったいないことをしているんだろうと思う。花たちに申し訳ないなとも思う。

仕事中、ふいに店長から「こじまさんはどの花が好き?」と訊かれたことがあった。目の前にあるのは、たくさんの花が静かに息づいているガラス張りのキーパー(冷蔵庫)。でも私は、すぐに答えることができなかった。えーっとえーっとと目線を右往左往させている間に、「私はこれ」と店長は迷いなく指を差した。普段から店長はそうだ。「好き」をまっすぐに口にする。花が好きで自ら店を開いたわけだから当然といえば当然なのかもしれないけれど、曲がりなりにも花屋で働いているのに、かたや好きな花を1つも挙げられない自分がどうしようもなくさみしくなった。

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そんなさみしさや、半人前にすらなれない日々の不甲斐なさで、心が疲れかけていたときのことだった。

毎週金曜日は、花を市場から仕入れる日。仕入れた花を車に目一杯詰めて店長が出勤してくると、私はその大量の花を車から急いで降ろさなければいけない。

車と店を何度も往復しながら運ぶなかで、見たことのない切り花に目が吸い寄せられた。すっとまっすぐに伸びた茎にいくつも連なっている、まるで小さなベルのようなキュートな形をした花。色は白、ピンク、紫とあった。なんて、なんて可愛い花なんだろう。

その日は私のほかにもう1人別のスタッフさんも出勤していて、「あ、◯◯◯だね」とその花を見て口にした。在籍歴的にはほぼ同じだけれど、昔別の花屋で働いていたことがあるらしく、私より花の知識はずっと豊富な人だ。金曜の朝はとにかく忙しく、聞き馴染みがなさすぎて上手く聞き取れなかった◯◯◯の確認は後回しになった。内心、とても気になっていたけれど。

少し落ち着いたタイミングで、店長に「この花って何ていう名前ですか」と改めて訊いた。返ってきた答えは「カンパニュラ」。カンパニュラ、カンパニュラ、と、1音1音を刻むように、頭の中で何度も復唱した。やっと見つけた、と私はここ最近で一番のうれしさを噛み締めた。私の一番好きな花、やっと見つけた。

ふわふわ揺れるように咲くその花は、和名だとまさに「釣鐘草」、あるいは「風鈴草」と呼ぶらしい。こんなに愛らしい花の存在を知れたのだから、それだけで花屋で働く意味はあったと思った。ささやかではあるのかもしれないけれど、それほどに、私にとってはうれしい出来事だった。
それに、私が知らないことはまだまだたくさんあるんだろう。しんどいことのほうが多いけれど、もうちょっと頑張ってみるか、と、一番好きな花を視界の端で愛でながら、生花のにおいが立ち込める店内で私は静かに決意した。

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年に数回ある花屋の繁忙期。そのうちの1つ、母の日を先日どうにかこうにか乗り切った。繁忙期だけは通常時と異なり、4〜5日ほどフルタイムの連勤になる。

くたくたになった母の日終了後、帰りがけに店長から「ここにある花、好きなの持って帰っていいよ」と促された。バックヤードの一角にあふれる、売れ残りや売り物にならない傷みかけの花たち。その中には、私の一番好きな花もあった。バラ、デルフィニウム、アルストロメリアなどなどと合わせて持ち帰り、花瓶に活けた。

見慣れた部屋の光景の中にカンパニュラが咲いているだけで、たまらなく気持ちが高揚した。傷みかけだからあっという間に元気はなくなってしまったけれど、それでも束の間「好き」に浸ることは確かにできた。

私は、自分の「好き」に疎い。うれしさ、たのしさ、よろこび…そういった感情のセンサーに、埃が積もっていると思ってしまうことが度々ある。だからこそ、せっかく出会えた「好き」は、ずっとずっと大事にしたい。そう、強く思った。