他人の期待に応えてばかりだった私が手にした、7cmのハイヒール

20歳の秋。初めてハイヒールの靴を履いて、大学に向かった。
駅までの徒歩10分、銀杏の木が黄色く染まった道を歩く。
いつもより7cm高い世界を見渡して、いつもより7cm分、強くなれる気がした。
大学時代、20歳の夏。ぽきっと何かが折れて、突然何も頑張れなくなった。
午後からの授業に向けてそろそろ家を出ないといけないとわかっているのに、身体が重くて動かない。ベッドの近くにある鏡に映る自分を見ると、ボロボロと泣いていた。
私は小さい頃から、いわゆる「いい子」で「頑張り屋」だった。自分がどうしたいか?よりも、何を期待されているか?を考えて動く優等生タイプ。服屋さんに行っても、自分の着たい服よりも、母親が選びそうな服を自分から選ぶような子だった。
そこそこ難関と言われる大学に合格して、国家資格の勉強をしていた。周りの友達はお金持ちの子が多くて予備校に通っている子ばかりだったけど、田舎の普通の家で育った私は大学の学費だけで精一杯で、独学で頑張るしかなかった。
とにかくみんなに追いつかないと。
親の期待に応えないと。
きっとそんな張り詰めた気持ちが、突然ぷつっと切れてしまったのだろう。「頑張る」という自分にとって当たり前だと思っていたことが初めてできなくなった。
「このままじゃいけない」とすがる気持ちで心療内科にかかり、カウンセリングを受けるようになった。
なんでも話していいという場は、誰かに合わせてきた私にとっては逆に難しい。初めの頃は取り繕ったことばかり言っていた。
そんな時、カウンセラーの先生がこんなことを言った。
「きっとあなたは、これまで自分の気持ちをなかったことにしてきたんですね。それは必要なことだったのだろうけど、でも、どんな気持ちも持ってていいんですよ。それは、あなたの大切な感情だから」
気づいたら、泣いていた。人前で泣くのは久しぶりだった。
自分の気持ちをちゃんと持ってていい。そんな当たり前の言葉に、その時の私は救われた。
そこからはボロボロと、自然と言葉と感情が溢れて止まらなかった。
20年間分の「ほんとは私だって」を吐き出した。
ほんとは私だって、女の子らしいピンクじゃなくて、爽やかな青の服を着たかった。
ほんとは私だって、学級委員長なんてやりたくなかった。
ほんとは私だって、学校帰りに友達と寄り道をしたかった。
ほんとは私だって、空きコマに友達と遊ぶような大学生活を送りたかった。
「今すぐ元気になろうとしなくて大丈夫」と先生は言った。
自然にふっと、何かをしたい、という気持ちになったら、それがサインだから、その気持ちを大事にしてね、と。
そんな日が来るのだろうかと、少し不安に思いながら日々を過ごしていた時、「欲しいもの」ができた。
それは黒のハイヒールのブーツ。
「かわいい」よりも本当は「かっこいい」が好きな私が一目惚れしたものだった。
あ、これだ、これがサインだ、と思った。衝動的にその靴を買って足を通した。
いつもより7cm高い世界。「出かけたい」と久しぶりに思った。
いつから、自分の見た目すら、誰かの「これがいい」に合わせるようになってしまっていたんだろう。
このかっこいい靴に合う服を選んで、髪を思い切ってショートにして、大きな揺れるピアスをつけて、出かけようと思った。
その靴は、当然普段のぺったんこの靴よりも履きにくくて、何度かこけそうになったし、靴擦れで足はボロボロになった。でもその7cmは、当時の私にとって、元気になるための精一杯の強がりだった。
7cmの力を借りなくても元気になってきた頃、気づけば私はその靴をはかなくなっていた。
その靴は今でも大事にしまってある。もう履かなくても大丈夫だけど、ちょっと落ち込んだ時にこの7cmを思い出して、「私はまだ這い上がれる」と思うために。
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