私から休みを奪って行った東京は、「止まらない人」に向いている場所

今の私は東京が好きではない。ここでは、お仕事でもプライベートでもとにかく、パフォーマンス重視で、効率も性能も優れていることの方がいいように感じてしまう。誰だってお休みすることが必要なはずなのに、人がたくさんいて誰かの穴が代わりの誰かでアッという間に埋められてしまう。代わりで穴埋め出来てしまう街が休むことはないし、休まない街で生きる人だって休めないように思う。
初めて東京で生活を始めたのは、大学に入学した時だった。最寄りまで徒歩20分、その最寄りの駅からさらに30分近く電車に乗らないと一番近い繁華街に出られないような場所で高校生活を過ごした私にとって、渋谷や新宿という東京を象徴するような場所は憧れだったし、大学の帰りに立ち寄れる距離にそんな憧れが存在することが嬉しかった。
どんな時間帯でも、にぎやかで忙しい町並みは自分が都会にいることを生で感じられたし、いつかそのにぎやかさが馴染んでその一部になれることが待ち遠しかった。授業のない時間やお休みの日は予定なんてなくても遊びに行ったし、就活だって都内をメインに活動していた。
そもそも、毎日のようにインターンシップが実施されている都会と、参加できるものを探すだけでも苦労する地元では、その比較すらできなかった。働くことが忙しく自分の能力を全力で発揮することだと信じて疑わなかったその時の私には、地元のペースに合わせることはできなかった。
でも、いざ働きだしてみると、いつでも全力で頑張ることは難しいことを知った。ずっと先まで毎日、当たり前に全力で対応しないと終わらないようなお仕事のスケジュールがあって、その合間にメイクや流行りの知識を仕入れて、彼氏を見つけて、さらにその合間に体力の回復をして。いつでも電車が動いていて、アッという間に移動ができる小さな空間にたくさんの人が集まる東京ではその全部をちゃんとできないと幸せにはなれないように思う。
お仕事に関する業務を効率化することなんて序の口で、体力の回復だってサポートするようルームウェアやビタミン剤が売られている。そういう道具までうまく使いこなしてできる限り時間を作り出す。東京はいつだって止まらない人に向いている場所だと思う。
私はいつまでここにいたいのだろう。高校生の時には見向きもしなかったし就活では合わせられないと捨ててしまった地元の決して便利ではない、いろんなことが実は大切だったのだと今は思う。あんまり使う人のいない電車は1時間に1本で予定なんて立てられないかったし、その状態が許容されていた。
社会人なった今、同じように許容されるかはわからないけど、東京よりはずっと穏やかにゆっくりと時間の流れる場所だった。たとえ私が全力で頑張ったとしても障害が多くて実現できないことが多いし、全力で頑張ることが難しい日だってあることやお休みすることが、自然と組み込まれていたと思う。
ネット環境が整備されてどこでもお仕事ができる今、私が嫌いだったあの地元に戻れるならお休みできるのだろうか。
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