転職して間もない頃、私は苦しんでいた。
新しい職場で、デザイナーとして企画会議に臨むたびに、自分の出したデザイン画が通らないのだ。

10枚描いても20枚描いても、一つも採用されなくて、それに対して返ってくるのは曖昧な反応か、時には沈黙だけだった。
何をどう直せばよいのか分からず、悶々とした気持ちでいっぱいになる。
それはまるで水の中に溺れているような感覚だった。

◎          ◎

そんな感覚の中で、毎日をなんとかやり過ごしていた。
転職前は大学生や20代前半の若い女性向けのカジュアルな服を手がけていて、それはそれは忙しい日々だった。おかげでその社内ではよく仕事ができる子だと思われていただろうし、自分自身でもそう思っていた。
転職したのは20代後半から30代前半の働く女性向けのブランド。
同じ「洋服を作る」仕事でありながら、求められる感覚も、美意識も、全く違っていた。
それが如実に結果に表れて、心底自信を失った。

向いていないのかもしれない、と何度も思った。だけど、ここで諦めるなんて無理。
このまま終わる自分を、自分自身が許せなかった。

◎          ◎

当時の私の周囲には、本当におしゃれな先輩たちがたくさんいた。無駄のない洗練されたスタイル。シンプルなのに、なぜか目を引く。
そんな彼女たちが、1枚のデザイン画だけで企画を通す姿を見て、私は強く憧れたし「絶対それになりたい」と思った。
その先輩の1人が「高い服見てみるといいよ〜」と歌うようにアドバイスをくれて、
それから私は新宿の伊勢丹に足繁く通っては試着を繰り返した。
それは、普段は絶対に手が出ないような、高級な洋服の秘密を探る旅だった。
金銭的に買う余裕はない。けれど、身にまとって、その世界の感覚に触れてみたかった。

答えが降りてくるような日は突然訪れた。
15万円のブラウスを試着した日だ。
正直、素材の良し悪しはある程度知っていたし、似た風合いの生地が安く手に入ることも知っていた。
だけど、そのブラウスを身にまとった瞬間、自分の体のラインが美しく見え、顔が引き立ち、全体が一つの作品のように感じられた。
「好きなものを着たいんじゃなくて、自分を美しく見せたいんだ」って、大人女子の服の選び方を初めて心から理解できた瞬間だった。それは私にとって新しい価値観だった。

◎          ◎

その体験が、私の意識を根底から変えた。
服そのものの美しさ以上に、それを着た「人」がどう輝くか。
その15万円の服には、どれだけの工夫と思想が詰め込まれているのか。
どれだけのテクニックが込められているのか。
そう思ったとき、自分が会議に出すデザイン画の軽さに、はっとさせられた。
ただ枚数をこなすだけではなく、「美しく見せる理屈」が必要だったんだ。

それから私は、描く前にとにかく考えた。
この服を着る人はどんな人か、どんな日常を生きているか。これを着たらどう見えるか。
そうしているうちに、少しずつだが会議で自分のデザインが通るようになっていった。
半年後には、かつての悩みが嘘のように忙しい毎日を送っていた。
伊勢丹には、通わなくても良くなった。

◎          ◎

あの15万円のブラウスは、溺れていた私を救ってくれた。
買ったわけでもないのに感謝の気持ちでいっぱいで、むしろ試着だけで去ったことを申し訳なく思うほどだ。
あのとき背伸びして、本物に触れてみたことで私は変われた。
身の丈に合わない世界に一歩足を踏み入れたことで、自分が何をすべきかが見えたのだ。

伊勢丹で試着していた私は痛々しくて不格好だった。
だけどその不格好さが、未来の自分を変えてくれることもある。
あのときの私は、たしかに水の中で溺れていたけれど、背伸びした手の先に、ちゃんと光はあった。