「それおかしくないですか?」先輩の“きつさ”は私たちのためだった

前の会社ですごく仲の良い先輩がいた。
当時の私はまだ22歳で、その人は5歳年上。
だからといって大ベテランというわけではなく、アラサーからアラフォーがメインの会社の中ではむしろまだまだ若手で、私たちは少数派の“若者枠”だった。
先輩は私にとって姉のような存在だった。
大阪出身で陽気な先輩は時にツッコミ役として私のうっかりミスや発言を笑いに変えてくれて、時には愚痴も聞き合ったりするような仲だった。情報通で、いつも私に社内の裏事情なんかも教えてくれる。20代がただでさえ少ない社内では友達のような存在にも近かった。
私は社内の人の中でも誰とでも仲良くなれる八方美人タイプだった。1番年下だったというのもあって、ワガママを言うこともあったけれど適度に空気を読み、必要以上に波風を立てず、うまく立ち回るタイプ。仕事のミスも人柄で許してもらっている部分があった。
でもその先輩は、まったく違ったのだ。
ミスなんて見たことがないくらい仕事がものすごく出来て、とてつもなく気の強い人だった。そしてその気の強さゆえに、損をしてしまうような人。
先輩は気が強すぎる故に、あんなにも有能なのに社内の評価は低かった。
社会人経験を積んだ今なら、コミュニケーション能力は仕事と切っても切り離せないと分かるけど、当時は納得できないくらい先輩は実績を積んでいた。
私は先輩の“強さ”こそが魅力だと思っていたし、こういう人がいたって良いじゃんと思っていた。
私たちの上司は決して悪い人ではなかったものの、「守ってくれる人」でもなかった。
部長や社長の判断にあっさり従い、私たちが積み上げた企画が、簡単にひっくり返されることも多々あった。
「上がダメって言うから」が口癖の上司で、私たち若手は「じゃあ仕方ないですね」と受け入れるしかない、そんな環境。
私は何度も頑張ってきた自分を抑え込んで心をぐっと握りしめるような思いでそれを受け入れてきた。
でも先輩は違った。
「それっておかしくないですか?」
上司にも、部長にも、社長にも、堂々とそう言える人だった。ときに刺すような言葉を選びながらも、誰よりも私たち若手のことを守ってくれた。
たしかに言い方がきついこともあったけど、その“きつさ”は、私たちのためだった。
ただただ、そういう人だった。
でも、その強さは会社には歓迎されなかった。
勤務態度が問題視されて、人事と話し合って先輩はある日急に辞めた。
私は、ただそれを見送るしかなかった。先輩は私を守ってくれていたのに。正しいことを言っていたのに。私は何もできなかった。
後日、先輩から手紙が届いた。
「あなたのことはすごく大好きな後輩だったよ」と書いてあった。
たくさんの“守ってくれない大人たち”に囲まれていた中で、一番年下の私を守ってくれたその先輩のことが好きだったし尊敬していた。
今も時々先輩のことを思い出す。
“正しさ”と”守ってくれない会社や上司”の間で揺れながら戦ってくれた先輩を。当時の先輩の年齢を超えて思うのは、先輩もまだまだ若かったんだということ。立ち向かうのはきっと怖かっただろうに。
私は、正しい大人になりたい。
でも先輩のように、ただ正しいだけではダメみたいだから。ただ感情をぶつけるだけじゃなくて、ちゃんと届く言葉で正しさを語れる人になりたい。
あの時の先輩みたいに、後輩や若手を本当の意味で守れる人に。
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