3年経って、やっと言えた「ごめん」の言葉がある。3年かけて、私は彼女に本当に言いたかったことが言えた。

彼女と出会ったのは中学1年生のとき。最初のクラスが一緒だった。一目見た時からなんとなく気になる存在だった。私の中学は全員が部活に参加することが決められている。私が入ろうとしていた部活に彼女も入部しようとしていて、ますます彼女のことが気になった。

「気になる」という予感は当たっていた。私と彼女はどんどん仲良くなった。理由や理屈はないけれど、彼女とはパズルのピースが合うようにありとあらゆることがしっくりきた。恋愛ではないけれど、運命だと思った。

コロナもなかったこの時代、私と彼女はハグしたり手を繋いだりとベタベタとくっついて過ごした。休みの日は一緒に出かけ、お菓子を作ることが趣味だった彼女のクッキーばかりを食べた中学生活前半だった。周囲も私と彼女はセットだという認識で、それがたまらなく嬉しく、誇らしくもあった。

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中学2年の冬、私は難病であると診断された。私は徐々に部活に参加できなくなっていった。

自分自身もかなり混乱していた。聞いたことのない病名で、しかも治らないこと。そして全然思うように身体が動かず、できないことがどんどん増えていき、気持ちが追いついてこなかった。

病気に関する知識も浅く、うまく説明することができない。その頃には部長であった彼女に欠席連絡をしなければならなかったが、毎日のようにそれをしていると、情けなさやら悔しさやらで胸が押しつぶされそうだった。

その頃から私はありとあらゆることに自信をなくし、自己肯定感も下がっていた。今までできていたことができなくて情けない、恥ずかしい。大好きな彼女にそんな自分を見られたくない。嫌われたくない。そう思い彼女を避け始めた。

彼女は私に避けられていることを気にして周囲に相談していたらしい。うまく自分の胸の内も言葉にできず、罪悪感ばかりが募り、自分から話しかけることもできずに彼女との距離は離れていった。

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結局そのまま卒業式を迎え、彼女とは別の高校に進学した。私はしばらく彼女と連絡を取ることはなかった。

再度連絡を取るようになったのは高校生活ももう終わりとなるころ。彼女の方から連絡が来た。「大学入学前に会いたい」と。すぐにOKの返事を出した。だって私は高校生活の3年間もずっと、心のどこかで彼女のことを気にしていたのだから。

いざ彼女と久しぶりに会った日、緊張と照れ、そして少しの罪悪感に私は気まずさを拭えずにいた。でも、ぽつりぽつりと話しているうちに、彼女は何も変わらないと思った。

本当は中学生の時からそうだった。当時少しだけ持病のことや悔しい気持ちを話した時に、「私は気にしない」と彼女が言った言葉は嘘ではなかった。病気があろうがなかろうができないことが増えようが、彼女はずっと私自身を見てくれていて、好きでいてくれた。

好きだなと思った。そして同時に、このままではいけないと。

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帰宅した私はすぐに手紙を書いた。

持病の詳しいこと、中学時代に、自分の気持ちの混乱から彼女を避けてしまい、それをずっと後悔していたこと。そしてこれからも仲良くしてほしいということ。

きっとこの手紙がなくたって彼女は変わらずに接してくれるのだろうとは思うけど、曖昧にせずちゃんと伝えておきたかった。手紙は彼女の引っ越しの前日に渡した。3年経ってやっとちゃんと言えた「ごめん」だった。

今は隣の県で働く彼女は帰省の度に連絡をくれる。その連絡を受け取ると私はクッキーを焼く。中学生の時、彼女が私に作ってくれたものとそっくりのクッキーとともに彼女の帰りを待つ。