いつか彼女にごめんねと言えたら。私が本当の意味で大人になれる日

「なんであのとき、ちゃんと謝れなかったんだろう」
今でもふと思い出すと、胸の奥がチクッと痛む。
あのときの私は、ちょっとした言葉も、素直な「ごめんね」も、なぜか言えなかった。
大人になった今はわかる。「ごめんね」を先に言える方がよほど大人で、そこにプライドなど持たないことがなにより有効だということが。
大学1年の春。私はひとりの女の子と仲良くなった。高校は別だったけれど、入学式でたまたま隣に座ったのがきっかけだった。
彼女は、私とは正反対のタイプだった。明るくて、よく笑って、ちょっと抜けてるけど誰とでもすぐ仲良くなれる。私はというと、人見知りで、自分の気持ちを口にするのが当時は苦手だった。
だからこそ、彼女のことをすごく頼りにしていたんだと思う。彼女と一緒にいると、自分も少しだけ明るくなれた気がした。
最初の1年は、何をするにも一緒だった。授業、カフェ、映画、旅行。LINEの履歴は、ほとんどが彼女とのやりとりだった。でも、2年生になった頃から、少しずつ距離ができ始めた。
きっかけは些細なことだったと思う。私が提出物の締め切りを忘れて落ち込んでいたとき、彼女が「また?ほんとしっかりしてよ〜」と笑いながら言った。それはきっと冗談だった。でも、そのときの私は、なんだかすごく傷ついた。自分でも理由はうまく説明できない。でも、そういう小さな「もやもや」が、重なっていった。
その頃、彼女には新しく仲良くなったグループもできていた。授業のあと、私に何も言わずにその子たちとどこかへ行ってしまう日も増えた。置いていかれたような気がして、私はどんどん拗ねていった。
そしてある日、私たちは大きなケンカをした。原因は、大学行事の準備のことだった。
私が資料を送るのを忘れていたことで、彼女が怒って、「最近、なんか他人行儀だよね」と言った。私はムキになって、「そっちこそ、最近冷たいじゃん」と言い返した。
そこからは、もう止まらなかった。お互いが言わなくてよかったことまで全部ぶつけ合って、結局その日を境に、私たちは口をきかなくなった。
本当はあのとき、「ごめんね」と一言言えばよかった。
資料を送るのを忘れていたことも、拗ねていたことも、彼女の優しさをちゃんと受け取れていなかったことも、全部、自分の中でわかっていた。それでも、「私だけが悪いわけじゃない」と思って、意地を張ってしまった。
時間が経てば、自然にまた元に戻れる気がしていた。でも、そんな日は結局来なかった。お互いに少しずつ違う友達と過ごすようになって、キャンパスで顔を合わせても、なんとなく会釈するだけになっていった。
あれから1年以上が経った今でも、彼女のことを思い出すと、なんとも言えない気持ちになる。あのとき、「ごめん」と言えていたら、また一緒にカフェに行ったり、他愛ない話をしたりできていたんだろうか。
私たちの友情は、そんな簡単に壊れるようなものだったのか。それとも、ただ私が壊してしまっただけだったのか。脆いなと思う。
最近、職場の後輩が友達とケンカしたと言って泣いていた。
その子の話を聞きながら、「謝るタイミングを逃すと、すごく長く後悔するよ」と自然に口に出た。でも、本当はそれ、自分に向けて言っていたのかもしれない。
私はまだ、彼女に「ごめん」と言えていない。
言わないまま、なんとなく大学生活が終わった。
でも、いつか言えたらいいなと思っている。
いつでも言える時にいうべきだった。
言える機会はもっと先かもしれないけど、そのときはちゃんと目を見て言いたい。
「ごめんね。そして、ありがとう」って。
それが、私にとって本当の意味で大人になれたといえる瞬間なのかもしれないな。
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