母の頭のなかはいつも仕事のことばかりだった。母は高校で家庭科の教師をしていて、毎晩残業していたし、土日も仕事で家にいることは少なかった。母に甘えるといつも「自分でしなさい」と言われていた。

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私には7つ上の姉がいて、姉も寂しい思いをしていた。私たちは小さいころから「母は、私たちより生徒のほうが大事」なのだと感じていた。

仕事の忙しい母が作り置きで作るミートソースは嫌というほど食べたので、私はいまでもミートソースを見るたびに気持ち悪くなる。もちろん食べることはないし、絶対に作ろうとは思わない。

姉にそのこと伝えると、姉はミートソースだけでなく、母が好きなトマト料理も苦手だと言っていた。でも、母の料理はびっくりするほどおいしい。姉のパートナーも大絶賛で、みんなで食事をして余った料理は遠慮することなく持って帰る。ここだけの話、姉の料理よりおいしいらしい。

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高校生が自分たちで作ったお弁当を競うコンテストのようなものがあって、母が教えていた生徒は毎回のように賞を獲っていた。私たちは何も言っていないのだが、母は毎回そのお弁当の写真を見せながら「あなたたちのお弁当は、時間がなくて冷凍ばかりだけど、必ず一品は手作りのものを入れている」と、母らしいプライドも添えて言い訳をしていた。

母の言い訳はたくさんある。私は5年前に転勤で上京したが、母がこの5年で東京に来たことは一度もなかった。「東京に行きたいな」と言うのだけれど、その次の一言はいつも言い訳だった。母は既に定年を迎えているが、育休などで休職した先生の代わりに短期間で働いている。

新卒から働いた長年のキャリアと人柄の良さ、わが母ながらユニークなキャラクターと愛嬌もあって、県内の学校からひっぱりだこだった。母は家庭の外でも人気者なのだ。

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定年後の仕事は、残業もなければ土日の仕事もない。「仕事もひと段落したのだし、東京に遊びにくればいいのに。お母さんの好きそうなところがあるよ」と誘っても、父と海外旅行をするとか、姪っ子の受験で忙しいとか、暑いとか寒いとか言い出す。
たくさんの言い訳を聞くたび、私は「まあ、本当はそんなに東京に来たいわけではないのだろう」と思っていた。いつもそうだったから。「別にそこまで娘に会いたいわけではないのだろう」と思っていた。

しかし、今年の4月、私が気分転換のために都内で引っ越しをすることにした、と母に伝えると、ないことに母が引っ越しを手伝うと言い出した。桜を見たいからだと言っていた。

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私は5年前、地元の支店から東京本社へ3年間の異動辞令が出た。3年経ったら地元に戻ることになっていたが、異動先の仕事が面白く、転職をするほど、誰かのために働くことにのめりこんだ。この5年、私の頭のなかは仕事のことばかりで、自分自身の家庭を作ることなど真剣に考えていなかった。

しかし、この半年の間で、周りが一気に結婚や出産をすることになり、これまで味わったことのない心の痛みに出会った。いつか、私も母になりたい、という頭の隅にあった願いを引っ張り出しては、強がったり、現実とのギャップに途方に暮れたりする日が多くなった。母には何も伝えていなかったが、母には伝わっていたのだと思う。

母と過ごした東京での5日間は、私と母だけの時間だった。ミートソースはまだ食べられなかったが、母が好きなトマトソースのピザは一緒に食べた。桜を一緒に見ながら散歩をしたとき、母が、「桜は遅咲きだね。今年は満開の桜は見られないから来年も来るわ。なんだか、来年はきれいに咲く気がする」と言った。私もそんな気がして、「来年は満開の桜を一緒に見よう」と言った。