桜を見かけることもなくなって、別れの季節というには遅すぎる頃に、大好きだったアイドルが引退を発表した。たったの18歳。新しい夢を叶えるため、彼は6年間続けたアイドルを辞めた。

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襲ってきたのは、きらきらした思い出と彼の決断を受け入れられない自分への嫌悪。

沢山の愛を受け取るなんていちばん難しいことなのに、それだけでは生きていけないの?到底理解できない。きっとこの先、どれほど年月が経っても理解できないのだろう。私とは何もかも違う人間なのだと痛感した。そんなこと分かっていたけど、やっぱり違う。なんてばかなこと言っているのと、勢い任せに彼を責める感情に押しつぶされそうになる。でも君がばかじゃないことなんて、笑えるくらい当たり前だし、そこに惚れたわけだし。

だから、
「辞めるなんて言わないで」
そんな独りよがりな言葉しか出てこなくなってしまう。

いざ大好きなアイドルに会えない現実を突きつけられると、推しは推せるときに推せとか、失ったときに大切さに気付くとか、端的で分かりやすい常套句でまとめられるものではないことを知った。だから、今回のエッセイでは、この複雑な感情の中から見つけた面白い感情を紹介しようと思う。

結論から話せば、それは「悔しさ」である。

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湧き出る寂しさと愛おしさと理不尽な怒りにより、非現実的な意識の中くらしていて、この感情に気付くには時間と手間がかかったが、わだかまりがとけた一撃であったので、日ごろのもやもやを「悔しさ」という観点から考察するのもアリだと思って読み進めていただけるとうれしい。

私の場合、応援していたアイドルは自分よりも年下であり、だからこそ尊敬していた部分も大きかった。幼いころから大手の事務所でグループ活動をしていて、沢山のステージに立ってきた。彼が一生懸命に努力する姿、輝く姿を見ると私も頑張ろうと思えるのだ。沢山いるファンから愛されると同時に、これからどんな活躍をするのかと、常に強い期待を一身に背負ってきたはずである。それでも彼は、周囲の期待を自分の目標と見紛うことなく、夢を見つけた。

一方、私はどうだ。何にも縛られることない生活をしていて、私は全ての可能性を秘めていると豪語しながらも何ひとつ目指す理想像を見つけられない。

ここがどこにつながる道であるかも分からない。成功はいらないし、ただおしゃれな人生を、とただそれだけを思って、手探りとも言えない、停止した時を眺めている感覚に近いのだ。

悔しい。でも、悔しいだけで終わらせてはいけないような気もした。

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私もいつか夢に向かって努力できる人間になりたいと思わせてくれるのは、アイドルとしてより大きなステージを目指していた頃も、新しい夢を叶えようとアイドルを引退した今も、変わらず力をくれる彼の存在だ。

年齢を言い訳にしない。なんとなく今がきっかけな気がする、という小さな勇気を見捨てない。とうに知っていたことだけど、向き合うことが怖くて避けてしまっていたから、悔しさを最高なチャンスだと捉えて、進んで行こうと思う。

ありがとう、わたしが好きだった人。お互い頑張ろうね。