高校生までは、常に誰かに人と比べられたり、自分でも意図的に比べたりしてきた。
それは学校の成績であったり、塾の成績であったり、部活のレギュラー争いであったり。
自分の立ち位置が、分かりやすく順位や点数という数字で明確に表れるため、無視することができなかったのだ。

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上位の人は発表され、それと同時に自分の順位を知って、落ち込んだり悔しいと唇を噛み締めたりした。
私は、多感な高校生のときに、我が道を行くことはできず、人の目を気にして、または「いいこ」でいようと奮闘していた。
「誰もそこまであなたに注目していないよ」と過去の自分に伝えたいが、もし伝えられたとしても、居場所や立ち位置を気にしていた高校生の自分には届かないかもしれないと思う。

振り返って思うが、「いいこ」を目指す過程で、文武両道の優等生を目標にしていたため、結果的に勉強に部活にバランスよくオールマイティーにこなせていたように思う。
学業も運動も、それなりにそつなくこなせている私を褒めてくれる友人が数人いた。羨ましい、十分頑張っているという言葉をかけられたこともある。
しかし、何事にも一番になれなかったので、人から誉められる資格はないと思って、悔しいという気持ちをバネに上を目指していた。
そして同時に、卓越したなにかを身に付けたいと常々思っていた。

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結論から言うと、高校を卒業して10年が経とうとしているが、まだなにかで1番にはなれていない。
改めて考えてみると、1番になれるのは1人だけだし、誰も到達していないようなニッチな領域に達するには、生き方が平凡過ぎた。

語学に関しては、語学の勉強が好きなので、英語の他の言語も頑張りたいとずっと思ってきた。社会人になってからも、第二外国語、第三外国語の勉強欲は心の奥底でくすぶっていた。
しかし、第二外国語の前に、仕事で使うビジネス英語を頑張らないといけないと思い、資格のために勉強するわけではなく、ゴールも特にないため、モチベーションが上がらないまま英語の勉強をしていた。
その結果、いつのまにか業務に忙殺され、英語の勉強も疎かになっていった。

大学生のときに、留学を経験して思ったが、私は日本から離れて、その土地で言語に触れることによって上達するようだ。英語圏なら英語しか使えないというプレッシャーがないと、モチベーションが続かないようだ。
チャンスがあれば、もう一度外国で暮らし、言語を身に付けたい。

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一方で、長い就活の末入社できた会社で、ラッキーなことに人間関係も良く、担当業務も楽しいので、働き続けたいという思いもある。
今の仕事を続けながら、外国に住むという矛盾した夢を叶えるためには、相当努力が必要な上に、諦めなければならないものも、沢山あるかもしれない。
高校生のときに持っていた向上心があれば、乗り越えられない壁ではないと信じたい。

親や、限られたお小遣いという制約のなくなった今、高校生のときや、もっと幼かったころにやりたかったことができるようになった。
高価なものを買ったり、文房具を集めたり、門限を気にせず出掛けたりと、過去にできなかった憧れを少しずつ叶えていっている途中だ。

過去の自分の夢も、今の自分の夢だと考えて、自分軸でやりたいことを決めて、自分を満足させるために努力していきたい。