どの写真も、あのときの「一目惚れ」の瞬間の鮮烈さには敵わなかった

初めて白浜の海を見た日、私は自分の目を疑った。こんなにも青くて、透き通っていて、どこまでも優しい海が本当にあるのだろうかと。
照りつける真夏の太陽の下、白く輝く砂浜と、それを包むように広がるエメラルドグリーンの海。遠くに行くほど青は深まり、空と溶け合っていく。波打ち際に立てば、光が反射してキラキラと眩しく、足元には泡立つ波がサンダル越しに触れてくる。はじめて会ったのに、ずっと前から知っていたような、不思議な懐かしさを感じた。
白浜の海に初めて訪れたのは、大学2年の夏だった。和歌山といえば梅干しとパンダ、そして海。私の期待値は最大限まで引き上げられていた。
けれど、その期待は良い意味で裏切られた。
白浜の海には、透明な青がある。それは、塗り重ねた青ではなく、何も隠さず、何も濁らせない青だ。浅瀬では足の爪先まではっきり見えるほど水が澄み、波は静かにリズムを刻む。砂浜はその名の通り白く、さらさらときめ細かい。足を踏み入れるたび、かすかな熱とともに沈みこみ、心まで解けていくようだった。
そして、潮の香り。夏の空気の匂い。日焼け止めと海風と、どこか遠くで焼かれているバーベキューの煙の香り。全部が入り混じって、鼻先に漂ってくる。都会では絶対に味わえない「夏休みの匂い」が、そこにはあった。私はその香りに包まれながら、時間が溶けるのを感じていた。
浜辺で凍らせたスポーツ飲料を飲んだり、浮き輪で波に揺られたり、そんな特別ではないひとつひとつの出来事が、やけに胸に焼きついたのは、やっぱり私はこの海に恋をしていたのだと思う。
日が傾くにつれて、海の表情はどんどん変わっていく。午後には少し光が柔らかくなり、波が淡い金色を帯びていく。夕方、水平線が赤く染まると、海はまるで眠る前の誰かの瞳のように穏やかになった。人もまばらになった砂浜に座って、何も話さず海を眺めていた恋人の横顔と、波音だけが心に残っている。
旅の終わり、ホテルを出るとき、思わずもう一度あの海を見に行った。朝の海はまた違う色をしていた。ほのかに霧がかかって、光がまだやわらかい。人気のない浜辺でひとり、私は足を止めた。名残惜しくて、胸がちくりとした。
旅行から帰ってきたあと、私は何度もスマホの写真フォルダを見返した。どれもきれいに撮れているけれど、どの写真も、あのときの「一目惚れ」の瞬間の鮮烈さには敵わなかった。写真には、香りも、波の音も、肌に触れた風も映らない。だからこそ私は、あの海のことを何度も思い出すのだ。
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