「同窓会で一番雰囲気変わったなって思ったの、書猫やわ」

卒業以来、7年ぶりに再会した同級生にそう言われた。正直、「それはそうだろうな」と思った。それと同時に誇らしく思った。

私の「背伸び」は随分と私の印象を変えているらしい。

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学生時代の私は、一言でいうなら「三軍女子」だった(この言葉がルッキズムやスクールカーストという好ましくない価値観に直結する言葉だとは理解しているが、敢えて使う)アニメや漫画が好きで、流行りやオシャレよりも推しのグッズにお小遣いと好奇心を使うタイプ。度のキツイ眼鏡をかけていて、低いところで無造作に髪をまとめている、モサッとした雰囲気の女子を思い浮かべると、多分それがそのまま私になる。

別に、それが悪かったとは思わない。幸いにも見た目で虐められるようなことは無かったし、当時所属していたコミュニティはその時の私には居心地のよい場所だった。それにオシャレや流行りに興味は持てず、好きなことをしている方が楽しい私には、「三軍女子」という立ち位置はとても楽だった。

だが、その「楽」や「居心地のよい」の裏にはどこかで「私みたいな芋っぽいのがオシャレとか流行りとか追ってもなぁ」という諦めと卑屈さがあったのも、また事実だった。

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そんな私が大学生となり出会ったのが、フランス文学である。その中でも特に惹き付けられたのが、コレットの『シェリ』、メリメの『カルメン』だった。どちらも強かで自由なヒロインが登場する作品であり、大学生の私はすっかり魅了された。『カルメン』のヒロイン・カルメンの自由奔放でありながら芯の通った性格、『シェリ』の主人公・レアのしなやかな賢さと強さには、同性として憧れた。「こうありたい」と思った。

そうして、私は少しずつ「背伸び」を始めた。彼女たちは自由で、自分に自信があって、スっと芯が通った揺らがなさがある。そうなりたいと心から思った。だから、そう見えるような立ち振る舞いを意識した。背筋を伸ばし、堂々としていること。恐れず挑戦すること。それが嫌味にならないほどの教養や品性、実力を身に付けること。それを意識して行動し、そう見えるような服装やメイクを心がけた。

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そうして社会人4年目となった今、私は学生時代から随分と変わった。「コミュ力が高い」とか「オシャレ」とか、「頼りになるしタフ」とか、学生時代の自分とはあまり結びつかない言葉で褒められる。まだ完璧とは言えないが、私は「理想の自分」に少しずつ近づいているらしい。

そんな折、久しぶりに大学の恩師と会うことになった。私にフランス文学の面白さを教えてくれた人であり、「あなたの文章には知性がある」と卒業の日に褒めてくれた人でもある。そんな彼女とご飯に行くことになった。

「お、カルメンじゃん!」

これが久しぶりに会った私の恩師の第一声である。思わず笑ってしまったが、彼女は人に対して全くお世辞を言わない人なので、本当にカルメンが頭をよぎったのだなと思い、とても嬉しくなった。私の「背伸び」の方向性はどうやら間違っていなかったらしい。

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そうやって「背伸び」を続けていると、ふと自分が「背伸び」をしていることを忘れる時がある。昔は興味を持つことすら烏滸がましい気がしていたジャンルの服を着ていること、飲み会の主催をすること…昔の自分なら絶対にしなかったことが、ごく当たり前にできている。「背伸び」が自分のスタンダードになっているのだ。

そうやって続けてきた「背伸び」は、いつしか自分の外面も内面も変えていっていた。そうして新しい世界や人と出会わせてくれた。私に向けられる評価すらガラリと変えていた。だから、私は今日も「背伸び」をする。いつか私が憧れたものに届くと信じて。