この先どこで生きていく?

高校生の私にこの質問をしたとしたら、私は食い気味にこう答えただろう。私は日本を出てヨーロッパで暮らしたいと。実際、高校の進路相談で日本ではなくオランダにある大学に進学したいと言って、周りに怪訝な顔をされた。

高校卒業と同時にオランダの大学に進学し、今の私はヨーロッパに暮らして6年になった。そして、今の私は「この先どこで生きていくか」という質問に対して、高校生の時ほど明確な答えがない。

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住む場所や進学先は日本だけではない。このグローバル化した時代、住む場所の選択肢は無限にあることに対して、私は高校生の頃から自覚的だった。

ハーフとしてどこか日本社会に馴染めていないような感覚を持っていた私は、自分の将来住みたい場所として日本以外の選択肢を持っていた。そして日本という選択肢を除外してきたともいう。高校生の私にとって将来日本に住み続けるということは周りに合わせて空気を読み続け、自分らしく生きるということをあきらめるということだと思っていた。周りと見た目が違うにも関わらず、目立たずに周りに馴染まなければならないというちょっとした同調圧力は苦しかった。だからこそ周りの環境を変えたくてヨーロッパに住むことに憧れた。

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この6年で私はヨーロッパで4つの国に移り住んだ。それはとても素敵な経験だった。

住む場所を決める基準は自分のやりたい勉強、してみたい経験。社会言語学というマイナーな学問を学び続けるには国や都市を制限するわけにはいかなかった。どこの国も社会言語学を学べる大学はそうない。やりたい勉強を続けるということが最優先事項だったから、どの国のどの都市に住むのかは二の次だった。どこの国でも都市でもいいから社会言語学を学べる場所。それほどまでに私は自分の学んでいる学問に愛着がある。

でもそれは同時に住む場所への愛着をあまり持たないということでもあった。もちろん住んできた街はどれも素敵な街である程度愛着もあるが、どちらかといえばそれぞれの大学に愛着があるのであって場所ではない。それはある意味、どこに移り住んでもある程度適応できるという自信にもなったが、どこにいても自分はあまり影響されない、大学というコミュニティには馴染めていても社会に馴染めたわけではないということでもあった。

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どれだけ移り住んでも、自分の生活スタイルも周りとの関わり方も何も変わらないことに気がついた時、自分に少しショックを受けた。どんな場所でも同じような生活スタイルをしていた。全く違う国にいて全く違う人に囲まれていても。

その結果、自分がどこにでも住めるという自信は自分の中で少し価値を失った。確かにどこにでも住めるようになることは財産だが、どこかの土地に根付いてみたいとも思うようになった。住んでいる街に愛着を持ちたいと思った。

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それは数年に一度帰省してみるとより感じるものになった。今でも生まれ故郷に帰れば私のことを覚えてくれている人がいて、待っていてくれる人がいる。そういう意味において、私は地元にずいぶん根付いていて愛着を持っていることに離れてみて気がついた。

そして地元ではその土地の特性に合わせて暮らしている。地元ならではの新鮮な食材を買ったり、日本らしいコミュニケーションスタイルで話したり。それはどれも私が地元をよく知っていて愛着を持っているからこそできることだと思う。

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この先どこで生きていく?

私はどこでも生きていける。高校生の時はただの夢だったが、今はどこでもある程度はやっていけるという自信と経験がある。この自信は6年間のヨーロッパ生活で作り上げたものだ。

でもそれと同時に自分の住む場所に愛着を持ちたい。その土地に根付いた生活もしてみたい。だからこそ今の私の選択肢の中には日本も入っている。

住みたい場所ではなくやりたいことによって住む場所を決める。その優先順位は今も変わらない。でも選んだ場所に愛着も持てるような場所。それが私の将来住みたい場所だ。