小さいころから、一人でいる方が気楽だった。趣味は読書や刺繍などの一人で楽しめるものが多いし、おひとり様で外食も旅行もする。いつか一人で海外旅行に行くのが今の目標だ。
別に人嫌いでもないし、人付き合いが悪いわけでもない。だが、人とずっと一緒に行動しているとストレスを感じるし、長い時間そうすることになると精神的に余裕がなくなる。人と関わるのは好きな方だが、自分のペースを乱されるのは嫌なのだ。ワガママな主張だが、人間なんてちょっとワガママなくらいの方がいいと誰かが言っていたような記憶があるので、気にしないことにする。
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さて、こんな私でも寂しさは感じる。そして、その寂しさは自分が酷く弱っている時にやってくる。生理前でメンタルも集中力も不安定、そのせいで仕事でミスをして、何とかリカバーしても「迷惑をかけてしまった」と酷く落ち込む。その上、私生活も最近は面白いことがなく、なんだか自分を労ることを蔑ろにしていた気がする。
そんな時に限って、急に寂しさに襲われるのだ。私を慰め、励まし、抱きしてめくれるような都合の良い誰かが欲しくなる。「いや、私が悪いけどさ」で始まるしょうもない弱音を受け止めてくれる優しい誰かが欲しくなる。だが、そんな都合のいい誰かの役を他人に押し付けるのは、家族が相手であろうと気が引ける。そもそも、そういうことをする自分のことを、自分のプライドが許さない。寂しいという感情を発散するのは難儀だ。
そういう時にやることは二つだ。一人で泣くこと、そして、文章を書くことである。
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これは私の困ったところだが、私は「寂しい」という感情だけでは泣けない。その上、誰かがそばに居ると余計に泣きたくなくなる。悲劇のヒロインぶっているような気がして、なんだか白けてしまうのだ。そうやって上手く発散できなかった寂しさが、積もり積もって弱った時にやってくるのだから困る。
だから、とにかく泣けるきっかけを作る。私は自分のためにはあんまり泣けないが、他人の幸せとか創作物には涙腺が弱まる。それを利用してとにかく泣く。映画、小説、アニメ、ドラマ…どんなものでもいいが、とにかくボロボロ泣くのだ。そうやって泣いていると、寂しさで絡まっていた自分の感情が少しずつ解けてくる。
その解けてきた感情を、ひたすら文章に書く。泣きながら自分の感情と向き合い、ぼんやりとしたそれに言葉という形を与える。どうせ誰も読みやしないから、頭に思い浮かんだ言葉をどんどん書く。不適切な表現、稚拙な文章、飛躍する話題、そういうものをお構い無しに書く。チラシの裏に、粗品で貰ったボールペンで思いっきり書く。
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そうやって書いていると、ふと涙が止まっている自分に気がつく。それと同時に、「あ、私ってこの時から寂しかったんだ」とか「こういうことが寂しかったんだ」とか、自分の寂しさと真正面から向き合える。
そして、「自分ってこんな感じなのか」と気づきを得て、少しスッキリする。そのままの気持ちで、ありったけ書いた紙をビリビリに破く。思いきり破くといいストレス発散になる。それを丸めて、 ギリギリゴミ箱に入るかどうかの位置から投げる。外すこともあるが、シュートが決まるとちょっと嬉しい。そのまま寝て、朝起きた頃には随分と気持ちが楽になっている。
多分、人によっては「こんなしょうもない向き合い方があるか」と思うかもしれない。仕方ない。私のやってる事は、いい歳した成人女性が深夜に泣きながら文章を書いて、それを破って捨てているだけだ。別にキラキラしてないし、ポジティブでもない。権威のある人のお墨付きもないし、オシャレな横文字も並ばない。
だが、自分で言うのもなんだが、自分も他人も傷つけず、一人で寂しさを乗り越える方法を選べる自分が、私は結構好きだ。