キラキラ輝く「イマドキ」な働き方に憧れた結果、気づいた自分らしさ

私はいま、地方銀行に勤めて7年目。支店で、事務を担当している。
毎年、何百人もの新入行員が採用され、そのうちの3人が今年、私の支店に配属された。先日、彼らが研修でやってきた。リクルートスーツに身を包み、眩しいほど元気に、明るく挨拶をしてくる。
その姿を見ながら、ふと思った。――本当に、同じ銀行の行員なんだろうか。私には、彼らが異次元の生き物のように見えた。不思議な感覚だった。同時に、数年前、希望とやる気に満ちていた自分の姿が重なって、胸が少し痛んだ。
「ああ、自分にも、そんな時代があったな」と。
それだけ、今の私は、会社との距離感も、仕事への向き合い方も、大きく変わってしまったのだ。
入行して1年目の終わり頃、コロナが流行しはじめた。やっと支店業務に慣れ、社会人としての一歩を踏み出した矢先に、世の中の在り方と働き方が一変した。
リモートワーク、副業、フリーランス…。インスタグラムを開けば、新しい働き方を推奨する投稿、キラキラと輝くキャリアウーマンたちの投稿、WebやSNSマーケティングなど「イマドキ」な仕事を紹介する投稿で溢れていた。
スキルを高め、市場価値を上げることが、自由で楽しいイキイキとした人生を手に入れるために必要だと、高らかに謳われていた。知らず知らずのうちに私も、充実した人生を送るためには、自走できるスキルや高い志が不可欠だと思うようになっていた。
「銀行業務だけできるようではダメだ!」
そう思い至り、マーケティングやSNS運用を学べるWEBスクールに通い始めた。もちろん、当時担当していた営業のスキルアップにも努め、商品の勉強をしたり、金融教育に関心を持って自ら情報を調べたり、日々精力的に自己研鑽に励んでいた。
そんな活動のなかで感じていたのは、今時のキラキラした仕事に繋がるスキルを学べている感覚。同じ高い志を持つ人たちと繋がり、「そっち側」の人間になれている感覚。そして、「これだけ努力していれば何者かになれる」という感覚――。
今思えば、あれは「向上心」に隠れた「自己陶酔」だった。SNSで流行する「誰か」の強い言葉に流され、浮き足立って、それなりのことをしている「つもり」になっていた。
「自分ならできる!」と自信満々に本部配属に手を挙げ、希望通り本部の企画業務に異動した。しかし、1年も経たずに潰れた。仕事内容が自分にまったく合わず、能力も全然足りなかった。精神を病み、4ヶ月の休職を余儀なくされた。
本部では、支店では絶対に経験できないスケールの大きい仕事に、4〜5年目という若い年次で携わることができた。部長からも、「その経験を励みに頑張ってほしい」と声をかけてもらった。その言葉を信じ、毎日遅くまで残業し、慣れない業務をこなし、スキルアップのために勉強を重ねた。帰宅後も休日も、頭の中は仕事のことでいっぱいだった。
でも、果たして私は、ストレスで涙を流しながら「スケールの大きい仕事」がしたかったのか?「イマドキな仕事」がしたかったのか?こんなにもガムシャラに働きたかったのか?会社に人生を捧げたかったのか?
ーーー答えは明白だった。NOである。
休職明けは、営業ノルマの負担を避け、事務担当として復帰した。それでよかったのだ。私は、自分のできる範囲の仕事で、やりがいの有無はさておき、そこそこの給料を得て生活できればそれでよかった。将来やスキルについて不安になることもあるけれど、流れるままに目の前の仕事を淡々とこなせばいい。そして行き着く先にたどり着ければそれでいい。
世の中のキラキラした価値観に、もう惑わされたくない。「やりがい」なんて、なくても生きていける。むしろ、なくたっていい。細く、長く、自分らしく、働いていけばいい。
いま、私はそんな気持ちで、会社と距離を取りながら、仕事と向き合っている。そして、そんな私も、フレッシュさに満ちた新入行員たちの指導役になる。彼らに教えられるのは、初歩的な事務知識と、ただ一言だけ。
「しんどいときは、休んでいいんだよ」――それくらいだ。
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