いつかここでジュエリーを買う。子供の頃の憧れにはまだ手が届かないけど

衣替えの季節である。アパレルショップの店頭にも、半袖のシャツや涼しげな素材のワンピースが本格的に並び始め、かわりに春物のニットや長袖のシャツがセール品として値下げされ始めているのを見かけるようになっている。
それを横目に通り過ぎながら、そういえば、最近「一目惚れ買い」をしなくなったなあと、ふと思った。
ちょっと前までは、「可愛い!」「素敵!」「欲しい!」のときめきのままに、ファッションビルや通販サイトを行脚することが好きで楽しくて仕方がなかったものだったが……。私が今欲しいのは、山に登るための良い登山靴と、おしゃれでもアウトドアでも履ける歩きやすいサンダルだ。可愛いものは今でも大好きだけれど、その衝動のままに買い物をすることがなくなったなあと思う。それよりも、今使うものや必要なもの。ファッションでも、「あると快適」なものに、心やお金の比率が動くようになった。
健康になったなあと思う。当時は、可愛くて素敵なものにわんさか囲まれて、満たされることが、ストレスの発散だったところがあった。それは不健康なものではあったけれど、そうしてもう十分に、一目惚れ任せに行動し切った、ということでもあるのかも知れない。
そんな今でも、忘れられない、そしていまだに叶っていない一目惚れの記憶がある。
小学校の三、四年生頃だったと思う。学校の冬休み中のことだ。当時、正月の初売りに家族で出かけることが、恒例行事のようになっていた。
といっても、買い物がしたいのは主に母で、小学生の私がしたい買い物も見たい店もたかが知れたものだった。母について行くと、延々と靴を何十足も試し履きし、延々と何着も服を試着するのに付き合わされるので、私は父について行くことを賢い判断とそのとき学んだのだった。父について行くと、美味しいラーメンは食べられるし、三時のおやつにパフェも食べられる。
そうしてぶらぶら、街を歩き、デパートを覗いて回る。洒落っ気も何もない小学生にとっては、上品なブティックより、キャラクターものの文房具を売っているファンシーショップの方が輝いて見えるものだったのだが……そこだけは別格に映ったのだ。
そこは、デパートの一角の店舗だった。が、店内から店内へと入るその入り口さえ、アーチのようなしつらえがされていた。実際は違うのだろうけれど、そのアーチも、大理石か何か、特別豪奢で重厚なように見えたのだ。ウィンドウにはキラキラと輝く小さなジュエリーが並んでいて、「こんなに小さいのに?」と思うそれらには、見たことのないゼロの数の値札が添えられている。店内の床は真紅のふかふかの絨毯で覆われていて、ちょっと足を踏み入れただけで、しん、とした静けさに包まれる。
小学生でも分かった。ここは、外で駆け回って土埃に煤けたダウンジャケットと、履き古したくたくたのスニーカーで入るような場所ではないのだと。
『ティファニー』は、私にとって、そのときから特別に強烈な、憧れのものだ。
いつか大人になったら、とびきりの格好で、ここに入る。ここでジュエリーを買う。
そういえば、年齢的にはもうすっかりいい大人になっている。さすがに、ハイブランドもちょっと手の届きそうなものには、背伸びをしたって誰にも文句を言われないだろうし、とびきりの格好だってたまにはしてもいいものだろう。が……あのときの思い描いた「いつか」の大人には、まだまだ全然なれていないのが現実な気がしている。
ユニクロとジーユーのセールに、今日も目を光らせている私なのである。
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