20代の頃、服を買うときの言い訳は決まって「さすがに買わないとやばいから」だった。
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どんな服でもまず隠れている値札を探して確認し、購入するその大半がシーズン終わりのセール品。それをくたくたになるまで、色あせるまで、毛玉があちこちに目立つようになるまで、着続けていた。当然のことながら、友達と会うときの自分の格好にも自信が持てなかった。
年齢を重ね、夫と結婚して、段々と「気に入ったいい服を着るときの胸のときめき」みたいなものがわかるようになってきたけれど、子育て中の今は動きやすく、汚れてもいい服をチョイスすることが多い。フリーマーケットで子どもの服と共に自分用の古着を漁っている辺り、基本的に服にお金をかけようとしないところは、変わっていないなと思う。
そんな私が、初めて百貨店で服を買った。
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きっかけは、フリーマーケットで出会った綿のワイドパンツだった。値札シールに500円と書かれたそれはしっかりとした生地で触り心地が良く、自然な色合いで、一目見てすぐに購入を決めた。
。調べると百貨店に入っているようなお店のものだとわかり、お得感に驚いたのだけれど、それ以上に通販サイトで目に入るそのお店の服がどれもとても魅力的に映った。
こんな服を着たい。憧れの気持ちが芽生えた。でも、今はまだ、この服と自分自身が釣り合わないような気がした。もう少しお金を稼げるようになったら。子どもが大きくなったら。買わない言い訳を、いくつも重ねた。
お店を見つけて数か月、久々に子どもを夫に預けて片道2時間半かかる大都会に出たとき、ふと駅に併設された百貨店に、そのお店が入っていることを思い出した。咄嗟に行きたくなった。行ったら買いたくなるのは明らかだけれど、自分一人で大都会のウインドウショッピングを楽しむ機会なんて、次はそうない。思い切って、百貨店の自動ドアをくぐった。
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初めて見たそのお店は思ったよりも小さくて、人も少なく落ち着いた雰囲気だった。店員さんと目が合った。すみません、ただ見てみたいだけなんです。小さくなりながら、なるべく店員さんの方を見ずに、「ご奉仕品」と呼ばれるセール品を手に取った。
思った通り、どれも柔らかでさらりと気持ち良い肌触りだ。よかったらお試着してみてくださいね、と誰もが耳にするアパレルショップのテンプレのフレーズを何度も聞きながら、手にとっては戻す、を繰り返した。まだ買うには至らないと思っていた。
しばらくして、ふとお店全体に視線を移した時、夏物のワンピースが目に留まった。「ご奉仕除外品」のコーナーにあったそれは、落ち着いた深緑色が印象的で、ふんわり柔らかくて軽い。一目惚れだった。これを着てみたいと思った。
店員さんに勧められるがままに、深緑のワンピースを試着した。着心地の良さに驚きながら、鏡に映る自分を見る。
思わず息を呑んだ。素敵だ、と思った。胸が高鳴り、試着室の無機質な景色が少し明るくなったような気すらした。このワンピースが、似合う人になりたい。
買っても着るだろうか。もったいない、と押入れに掛けたまま、何年も経つことも想像できた。試着室の中で逡巡した。でも最後に、これを着たい、という気持ちが勝った。このワンピースを着て、わくわくしながら夏を過ごしたいと思った。
思い切って、買うことを決めた。とってもドキドキした。
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お店のロゴ入りの丈夫な紙袋に入れてもらったワンピースを、袋の口から覗き見た。照れくさくて、くすぐったくて、ちょっと信じられなくて、やっぱり少しだけ、ロゴを隠して歩きたくなる気持ちは残っている。でも、嬉しかった。新たな世界に足を踏み入れた心地だった。この先、ワンピースを見るたびに、この軽やかな気持ちとときめきを思い出すのだと思うと、思わず頬が緩んだ。それだけでもう愛おしかった。
その週末のお出かけのとき、ドキドキしながらワンピースに袖を通した。ランチの約束をしていた、おっとりと優しい職場の同期は、何気なく言ってくれた。
「かわいいね、緑のワンピース」
今までは、「これ安かったんよー●●円!」なんて言葉が口をついて出ていた。「これ…」と言いかけて飲み込んだ。
「あ、ありがとう!!」
素直に受け止めることができた。ワンピースが似合う自分に、少しだけ近づけた気がした。