「この家を売って、どこかアパートを借りて住むのもいいと思うの。どう思う?」

2階建ての一軒家にひとりで住む私の母は3年前、私が帰省したときにそう持ちかけた。父が病気でこの世を去って、いろいろな手続きをやっと終えて、ひと段落したその時だった。

私の実家がなくなる。そんな受け入れ難い事態が訪れる日は、そう遠くないのだと感じた。

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私が産声を上げる1年前に、我が家はこの世に誕生した。

1階の玄関を上がると、廊下を通り抜ける途中にトイレと洗面所とお風呂場があり、その先にリビングが広がる。手前半分はフローリング、もう半分が畳。畳の部屋の奥には床の間があって、そこではよく犬が寝ていた。スムースコートチワワと呼ばれる、毛が短くてムチムチした白黒のチワワを、我が家では16年間飼っていた。

2階は広めの寝室と小さめな和室。寝室は間で仕切れるようになっていて、その半分が私の部屋だった。デザイン性にこだわって母が奮発して購入してくれた勉強机は、20年以上経った今でも現役として活躍している。
小さめな和室にはテレビが置いてあって、父が仕事帰りにそこでテレビもエアコンも付けっぱなしで寝るものだから、母によく怒られていた。

これが揺るぎない我が家だったし、それが当然の景観だった。
けれどそれは母が「本当に住みたい家」ではなかったことが、会話の続きで明らかになる。

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「私は1階のリビングは全てフローリングが良かったし、床の間なんていらなかった。お風呂の床も全部タイルにされた。私の意見が訊かれたのって、キッチンの高さだけだったのよ」

父と母の夢のマイホームには、双方の意見は取り入れられず、父方の祖父母がほとんど決めてしまったそうだった。今座っている畳も、裸で座るには少し痛いお風呂の床も全部、彼らが願った内装ではなかったのだ。

いや、内装だけではない。聞けば我が家は、祖父が所有する土地の上に建っているらしい。彼らは最初から、住む場所も決められていたのだ。
今の私よりも若かった当時の母が、文句ひとつ言えなかったことは、言うまでもない。

「だから私、この家に思い入れがないの。私のものじゃないんだもん。旦那とふたりで選んで買った車の方が、よっぽど思い入れがあるわ」

私たち人間と等しく、家も歳を取る。
部屋の内側を覆う白い壁は、今は亡き犬のおしっこでシミだらけになり、畳の部屋の壁片側を占める襖は、ある日「パリッ」と音をたてて破けた。

「一軒家をひとりで管理するのって、大変なのよ。エビアンが一緒に住んでるならまだ家の手入れも頑張ろうと思えるけど、ひとりだからそういう気も起きないし」

父が亡くなり、私が独り立ちした今、母にはもう「この家に住む動機」はなかった。

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「私にとっては、生まれてからずっとここに住んでいて、帰ってくる場所だから。やっぱりなくなるのは寂しい」

母の想いを最大限に尊重したいと思っても、しかし実家を失うことは家族がなくなることと同じくらい、痛みを伴った。子どもじみた抵抗だったけれど、意見を問われるとこのような言い方しかできなかった。

「そっか、そうだよね。そしたらもう少しここにいるよ」

母は意外にもあっさり、自分の考えを取り下げた。きっと母も、私の想いを尊重してくれたのだろう。

あれからちょうど3年が経ち、母は今も同じ場所に住み続けている。

「全くもう、この家はどうなるのやら」

土地の所有者である祖父は今年で90歳を迎えて、1日のほとんどを自宅のマッサージチェアの上で過ごしている。祖父が天国に行けば、祖父の娘であり父の姉である叔母さんが土地を持つことになるのだろうと、母はこぼした。

実家がなくなるのは寂しい。けれどこれからは、母が本当に住みたい家で暮らしてほしい。
自分が結婚して新しく家庭を持った今、やっと母と同じ立場で向き合えるようになったのだと思う。