偶然は必然、人生はタイミング、というのはあながち嘘じゃない。

例えば偶然自分が出会いたい人ととてもいいタイミングで出会って。
例えば偶然出会ったその人が、他にも会いたいと思っていた人と繋げてくれて。
そしたらいつの間にか目指していた世界の中にいて。
タイミングがタイミングを呼んで。

そんな美味しい話あるわけないじゃない、なんて言われることもある。
おそらくそれもまたその通りだと私は思う。
偶然というはぽっと出で生まれてくるものではなく、多くの場合は自分の過去行動の積み重ねによって生まれてくる、それはもはや必然と言っても過言ではない。
ただ自分が予期していなかったから偶然と思っているだけ。

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そうして生まれた偶然を私は2タイプに分けている。
一つ目はその偶然自体が私自身に新しく行動を与えるようなもの。
ついついぞんざいに扱っていた洗濯機が、いざ洗濯しなければならないタイミングで壊れ、大慌てで買いに行かなければならない、とか。
洗濯機の故障という偶然によって、私は行動を余儀なくされていることがお分かりだろう。

もう一つの偶然は、私の行動自体で初めて成立する、いわばきっかけのような偶然だ。
過去の自分の努力に対して、偶然生まれた新たな出会い。
洗濯機と違うのは、現在から未来の自分の行動次第で偶然の生死が決まることだ。
行動するも行動しないも私の自由。
言い換えれば偶然の生死を決める行動、私はこれをタイミングと呼ぶ。

偶然を生かす行動、それは今の自分と正面から向き合い、変化を余儀なくされる。
痛みを伴わない成長などない

心身ともにパワーが必要な行動など、大抵の人間は望まない。
しかし、その一歩を踏み出すことで、人生というのはあまりにもリズミカルに鮮やかに変化することを私は知っている。

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「△△してた人が今日会社に来るんだけど、睡蓮ちゃん紹介しようと思ってて」
「ぜひお話聞かせていただきたいです!」

異動先の業務も軌道に乗り始めた5月、私は、30歳というフィールドに乗るにあたりビジネスコンテストへの挑戦を考えていた。
とはいうものの、これまで専門分野を極めた、いわば職人のような生き方をしてきた私は、お恥ずかしながらビジネスのビの字もよくわかっていない。今もそうだ。
そんな中、社内起業家として既に活躍されている方と運よく少人数でお話させていただく機会を得た。

普段は私が働く場所にいらっしゃらないため、本当に偶然の機会だった。

「本当にありがとうございました」
「いえいえ、もしよかったらいつもはここで働いてるから一度来てみてよ」

教えていただいた場所は私の家からおおよそ電車で30分ほど。
ただでさえ一歩踏みだす勇気のストックが少ない私だ。
セオリーで言うと行かない、ところがなぜかこのときは行きたい気持ちに突き動かされ、数日後にはメールでコンタクトをし、気づけばその人の勤務場所でより深いディスカッションをしていた。

「あの時会った子で実際に連絡して来てくれたのって、睡蓮ちゃんだけなんだよね。この一歩が大事なんだよね」

その言葉の通りで、訪問以降縁が縁を呼び、ありがたいことに私のアイデアを応援してくださる方がたくさん増えた。
コンテストはまだまだこれから始まると言った状態ではあるが、タイミングを掴んだ結果私はとても恵まれた環境で今を生きることができている。
たかが訪問という一歩だったかもしれない、しかしその一歩で確実に私の世界は変わった。
とてもとても大きな一歩だった。

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エッセイを執筆しておいていう言葉ではないが、踏み出すという行動は他人から言われてできることではない。
変わろう、そう思い立ち上がるのはいつだって自分のパワーであり、想いだ。
ただ、人は一歩踏みだすことで変わることができる、その実績のために私は私を綴る。