「友達以上、恋人未満、家族同然」

彼の存在を言葉で表すとしたらこんな感じだろうか。私は恋愛感情というものがどうも他人とは少しずれているようだが、彼に寄せる思いは確かに「好き」であったと思っている。

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人並みに他人を「好き」になれるタイプだと思っていた。初めて「お付き合い」をしたのは小学校を卒業するときで、割と「彼氏」という存在は途切れなかったと思う。相手から好きだと言われて自分も好きになった気がしてお付き合いしたこともあったし、自分から告白してきっちり振られることもあった。

そうやって世間一般で言う「恋愛」をしてきたけれど、いつも何か違和感があって、最長でも1年くらいしか続かなかった。そのことについて特別悩んだりすることもなかったけど、分析してみると、どうやら私は「恋愛」という感情の中に性愛が伴わないらしいのだった。手を繋ぐというスキンシップすら嫌だった。できないわけではないけど、それをする意味がわからなかった。意味がわからないから、不快だと感じた。

でも、今まで付き合ってきた人はみんな、恋愛はスキンシップありきだと考える人であった。大切だと思うだけでは、一緒にいて心地いいと思うだけではダメなのだろうか。そういう小さな違和感や価値観の違いの積み重ねが別れ話に行き着いた。別れ話をするのはいつも私だった。自分の恋愛感覚は人とちょっと違うらしいと気づいてからは相手と近しい関係になることを避けるようになった。

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そういう事情を他人には話してこなかったけど、高校でできた男友達に話の流れでつい言ってしまったことがあった。すると驚いたことにその男友達も私と同じだったのだ。仲間ができたと思った私は頻繁に彼と恋愛観について語るようになった。

そうなると生まれてくるのは恋愛的な「好き」という感情である。同じ恋愛観の人とならお付き合いできるのではないか。そんな思いが頭を掠めた。実際、彼とお付き合いをした期間もあった。私も彼も、お互いがお互いに触れたいとは思わず、心地良い時間を過ごした。

楽しくはあったが、あの頃は、お互い人とはちょっと違う恋愛観が一致したというだけで気持ちが盛り上がっていただけだったと思う。気が合うところを語れば語るほど、私たちは恋人というよりは「人生のソウルメイト」みたいな関係になっていった。私はそれでもよかった。それが私の「好き」の形だと思っていた。

しかし彼は彼で自分の在り方に悩んでいて、情緒不安定になっては落ち込むことを繰り返していた。ソウルメイト的な関係でなんでも話せるからこそ、共有する悩みや苦しみも深く重いものになっていき、だんだんと2人でいることが苦しくなってきた。

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その後、彼は突然音信不通となり、私から離れていった。半年以上経って聞くところによると、彼には同性の恋人がいるらしい。裏切られたような気持ちになり深く傷ついた私は彼との縁を切った。

しばらくは誰も信じられなくなり苦しい思いをした。彼とは2度と会いたくないと思う。それでも、「好き」だと思ったその気持ちは偽物ではないと今でも思っている。確かに、確かに好きな人だった。