彼は、とても目が良い人だった。それに加えて、運動神経も良く、いろいろなことをよく考える人だった。虫歯もなくて、健康そのもので几帳面。
対して私は、視力は悪いし、運動音痴。考えなしに行動するし、歯が欠けたりするし、体のあちらこちらにガタがきていて、部屋の片づけもできなかった。
それでも、私はあの人に心底惚れ込んでいたし、あの人も私にとても心を許してくれていたと思う。
価値観も性格も「正反対」の私たちだけど、不思議としっくりきていた
彼はサークルの先輩で、何かと関わる機会が多かった。最初はサークルの相談をするためにかけていた電話が、ただ「話したい」という理由に変わったのはいつだっただろう。週に一回、夜中から明け方にかけて彼と長電話をするのが、私の楽しみになっていた。
自分の価値観や人間関係の悩み、幼少期のこと、恋愛観、お笑いの話……。こんなに他人に全部をさらけ出したのは、初めてだった。彼もあまり他人に心を許すようなタイプではなかったのに、私には本音を語ってくれたのが心底嬉しかった。
価値観も性格もほとんど正反対みたいな私たちだったけれど、不思議とそれがとてもしっくり噛み合っていた。
だから、私が彼に告白するときも「付き合ってください」とは言わず「付き合ってくれないんですか?」と言った。そう言うほうが、私にとっては一番自然だった。彼は「大事にしたいから、付き合えない」とまるで遊んでる男の常套句のようなことを言ったけれど、私は「彼がそういうならそうなんだろう」と納得したし、今でもそうだと思っている。
私と彼の「関係」が終わる日を思って、私はいつも怯えていた
それから私たちは、週の半分くらいを私の部屋で一緒に過ごすようになった。私が整理整頓出来ないのを見かねた彼が部屋を片付けてくれたり、洗濯物を一緒に干したり、ご飯を作ったりした。どんなに一緒にいても飽きなくて、お互いに少しずつ自己中でわがままだったけれど、不思議とそれが心地よかった。
一つの椅子に無理やり一緒に座って笑いながらお酒を飲んだことも、並んでYouTubeの動画を見てゲラゲラ笑っていたことも、昨日の事のように思い出せる。
ただ、彼の先を見据えすぎる性格と、私の目の前のことしか見えていない性格の違いは、段々浮き彫りになっていて、この関係が終わる日を思って私はいつも怯えていた。私は永遠にこの生活を続けられるけど、きっと彼は無理だろう。
きっかけは、私が彼に黙ってキャバクラで働きだしたことだった。彼は怒りはしなかったけれど、呆れたような冷たい目をしていた。私たちは、付き合っていなかった。けれど、裏切ったのは恐らく私だった。
彼が「もう、この関係終わりにしよう」と言って、そのあと、私たち二人は泣きじゃくりながら、暗い部屋でお互いの気持ちを話し合った。お互いに通じ合ってはいたけれど、私たちはもうダメだった。私たちは「終わりにしよう」という言葉が一度出てしまったら、もう戻れないような関係だった。
「終わりにしよう」と決めた。でも、私は彼のことが好きだった
眠ってしまった彼の横をスッと抜け出して、私はベランダで一人煙草を吸った。失恋して、まず最初にやることが喫煙って。自分が情けなくて仕方ない。
裸になって駆け回るくらいの勇気があればいいのに。空を見たら、すごく星がきれいだった。私は目が悪いから2,3個の星しか見えないけど、あの人は目がいいからもっと見えるんだろうな。悲しくて辛くて寂しいのに、不思議と涙が出てこなかった。
煙草を吸い終えて戻ろうとすると、彼が顔を出して「ちょっ、服着てる?」と焦った顔で言った。「着てるよ」と私が笑うと「良かった」と言って、彼は部屋に戻っていった。あぁ好きだったな~とこの時、心から思った。
あの日以来、彼とは一度も会っていない。そのあと私にも恋人が出来て、一緒の布団で寝たけれど、その時に気が付いたのは、彼の隣で寝心地が悪かったことは一度もなかったということだった。