カカとはベンガル語で父方の男兄弟のことを指す。私にはかつて5人のカカがいた。今は4人になった。皆、海を越えた遠くの国に住んでいる。

10年前カカの1人が突然いなくなった。誰も届かないほど遠くへ行ってしまった。彼は、唯一日本に住んでいるおじさんだった。ひょろっと手脚が長くて、白い笑顔がよく映えるココア色の肌をしていた。初めて父が声をあげて泣くのを目にした。それも一度や二度ではなかった。モスクでお祈りを終えた母は、もう動かないカカを前に、顔をしわしわにして崩れていた。

中学生の私は不思議な気持ちだった。病院からの電話をとってから、カカをバングラデシュに送り出すまでの数日間、色んな人が来て、カカのをした。みんなのどを震わせ、頬をぬらしていた。愛されていたんだなと、その時はじめて知った。でも、私は泣かなかった。

美味しいごはんを口にした時、きれいな空を見上げた時、テストの点数が高かった時、友達とお誕生日パーティーをした時。嬉しいと同時に、いつもカカの姿が浮かんだ。もうこんな瞬間はこないんだと、幸せを感じることはないんだと、カカの閉ざされた未来を思うと胸の奥が苦しかった。それでも私は泣かなかった。

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カカ、元気? 最後にあったのは10年も前だね。あれから背はそんなに伸びてないなぁ。バングラデシュの大学を卒業したんだよ。ベンガル語話せるようになったんだ。向こうの家族もみんなカカに会いたがってたよ。

ずっとさみしかった。また会える気がしていた。だってカカの人生まだまだこれからだったじゃない。セイコさん(仮名)とはうまくいかなかったけど、カカには人を幸せにする力があったんだ。きっと、誰かがその魅力に気づいてくれるはずだった。カカには、もっと深くて、もっと永い、愛が待っているって信じてたんだよ。

働いてたスーパーでも評判良かったんだよ? 悲しんでるお客さんたくさんいたって。当時は、職場でたったひとりの外国人だったね、大変だったでしょ? 今はどこのコンビニに行っても、慣れない日本語で店員さんが対応してくれるんだ。

ここだけの話ね、カカの日本語の方がうんと上手だよ。それに、なんだか留学中のわたしを見ている気分になるの。ことばの壁、文化の壁、宗教の壁--アルバイトってすごくつらかった。もどかしくて、虚しかった。

今ではね、そんな外国人労働者の生活サポートの仕事をしているんだよ。日本語を教えたり、生活習慣の指導をするの。お互いたどたどしいコミュニケーションでね。みんな当たり前に完璧じゃない。ただね、厳しい現実の中に、冷たい世界の中に、ヒントが見えるの。今なら、少しだけカカの苦労がわかる気がするの。一生懸命勉強して、頑張っていたんだね。

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ねえ、またうちに遊びに来てよ。あんなにけんかばかりしてたのに、カカの革ジャンを羽織るパパの背中、ものさびしそうなんだ。どんなに生意気だったとしても、やっぱり弟は愛おしいみたい。

たばこやめて節約しなさい。お酒の匂いをさせて子どもに会いに来ないの。市販薬ばかりに頼らないで、ちゃんと病院行ったら? なんて顔合わせる度にママは怒ってたね。だけど、カカのいるアルバム未だ見返せずにいるんだよ。優しさが猫かぶってたんだね。みんなカカのカケラを心に刺して生きているみたい。

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カカ、わたしあの時はまだ知らなかった。カカが孤独だったこと。カカがもがいていたこと。カカがそれでも強く生きていたこと。カカの毎日は、愛で包まれていたこと。誰も教えてくれなかった、かくれんぼしていた、カカへの気持ち...。カカ、ほんとうはみんなだいすきだよ。カカのこと、愛してるよ。

あの日くれた腕時計、針はしばらく眠っているけど、まだカカの匂いがする、心のなかではカチカチ音がする。最後って知らなかったから、ちゃんとさよならできなくて。カカがまた着けてお出かけしてくれるの待ってるんだと思うの。わたしも一緒に待ってるよ。

だからさカカ、最後にもう一度、会って話そうよ。ホントの気持ち言わせてよ。
ありがとう、だいすき!って。