その人は、近所の友達のお母さんだった。いつも笑顔で、色白でつやつやしていて、よく冗談を言う人だった。食べ物に例えるなら白玉で、パフェのコーンフレークの下にいるやつではなくて、あんみつに載ってる方の白玉だった。

子どもの頃わたしは父の実家に住んでいて、父同士は幼なじみ、母同士はいわゆるママ友だった。向こうのお家には男の子がいて、わたしの弟と仲が良く毎日遊んでいた。家族ぐるみで仲良くしていて、時々みんなでバーベキューなんかをしていた。

母親同士も仲が良く、よくわたしの家や近くのファミレスでお茶していた。弟たちはわたしが知らないゲームばかりやっているので、なんとなくわたしは母たちと一緒にいることが多かった。二人は子どものわたしが聞いていいのかわからないような愚痴やら噂話やらずっとしゃべっていた。

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その人は昔、留学をしていたことがあり、仕事の傍ら英語教室のボランティアをやっていた。その頃それを知らずに、わたしは大学では英語を勉強したいと思い始めていた。

中学生だったある日、その人がわたしに「将来何がしたいの?進路はどうするの?」と聞いた。
「実は英語が勉強したくて…」と話すと、いつもの笑顔が何倍にもなって、パフェの上に乗れたかのように、顔が輝きだした。

そこから、留学した時のこと、外国の美しかった景色のこと、英語が話せると世界が広がることを、たくさん話してくれた。いまだに思い出せるくらい、今まで出会ってから一番生き生きとした表情をしていた。当時周りにリアルな海外を知っている人、外国の人とコミュニケーションが取れる人がいなかった。わたしは元々大好きだったその人のことがより大好きになってしまった。憧れの人だった。

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その後も会うたびに勉強のことを気にかけてくれて、笑わせてくれた。わたしも将来こういう人になりたいと思っていた。

それからわたしは高校生になり、忙しくなってしばらくお茶会に参加していなかった。親もその話をしてこなかったので、いつも通り開催しているだろうと思い特にこちらからも聞かなかった。

ただ、ある日その人のことを思い出して母にあの人は元気?と聞くと、元気だよ、とだけ返してきた。口調は普通だったけど、なぜか一言で済ませる母の雰囲気にこれ以上聞いてはいけない気がして、こちらもふーん、と返した。

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そうこうしているうちわたしは高校を卒業し、実家を離れることになった。希望通りなんとか語学系の大学に入ることが出来た。しばらくこの家、この街ともお別れか。そう思って身の回りの人物について思いを巡らせていた。そうだ、あの人。応援してくれていたあの人に、英語が勉強できることになったと伝えなきゃと思った。

そこで母に、「あの人には次いつ会うの?わたしも引っ越す前に会いたい」と言った。すると一瞬真顔になったあと、一呼吸おいて母は言った。「あの人ね……あんたには言ってなかったけど、しばらく前に離婚して家出て行っちゃったの」と。

混乱した。なんで?あんなに家族仲良さそうだったのに?じゃあ息子は?いろんな疑問が体内を駆け巡った。

原因はその人の不倫だった。不倫して駆け落ちして、子どもは置いていったらしい。

驚きすぎてなんの言葉も出てこなかった。ドラマみたいだ、と思った。でもわたしはその家族の誰ともしばらく会っていなかったし、現実とは思えなかった。どうしていいかわからなかったが、それでも引っ越しの日は来て、わたしは黙って地元を出て、時々帰省し、社会人となった。

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正直あの人への憧れや好きな気持ちはまったく変わっていない。自分のその気持ちも意外だった。不倫した芸能人やそういうドラマが嫌いだったからだ。もちろん許されることではない。でもその家族の中で何が起きたかもわたしにはわからない。わたしにとってはいつも素敵な人だった。それだけでいい気がした。

意外と母とも親交は途絶えていなかったらしく、社会人にも慣れた頃一度だけその人のところに連れて行ってもらったことがあった。その人は転職していて、その職場にほんの少しお邪魔する形になったのだ。

会うまでに変な緊張で手汗をきながらその建物のドアを開けた。その人は変わらない白玉モチーフで、変わらない笑顔でわたしの名前を呼んだ。久々すぎて人見知りしてしまって、照れながら、大学で英語を勉強できていること、ホームステイで海外に行けたこと、でも結局全然関係ない仕事をしていることを話した。

相槌を打ちながら全部笑顔で聞いてくれた。なんとなく、前よりも生き生きしているように見えた。わたしに初めて外国の話をしてくれた時のそれに近づいているような気がした。それなら、あの人が、元の自分を取り戻しているのなら、わたしはそれだけでよかった。

さらっと近況報告をしたあと特にその人に起きた出来事には触れずに、お互いに笑顔でじゃあね、と言ってその場を後にした。母もそのうちまた会おうね、とか言っていた。

帰りの車は無言だった。
家に帰って、少しだけ泣いた。

わたしに夢を見せてくれた、あの人との思い出の話。