ほんの一瞬で心を奪われるときめきや衝動。「一目惚れ」に恋をする

わたしは、「一目惚れ」という感情そのものに、「一目惚れ」をした。
名前も知らない誰かや、通りすがりの風景に、ほんの一瞬で心を奪われてしまう。
その一瞬の「ときめき」や「衝動」が、愛おしくてたまらない。
ふらっと散歩に行き、直感で「好き」だと感じたものをカメラに収める。
わたしのカメラロールは、「一目惚れ」で溢れている。
コンクリートだらけの路地に力強く咲いていた小花。
電光掲示板がひしめく都会の中に、ポツンと佇む寂れた喫茶店。
誰かが落とした片方だけの手袋。
今日はどんな「一目惚れ」に出逢えるのだろう。
そう思いながら毎日を過ごしている。
でも、たまに考えてしまう。
「一目惚れ」は一方通行だ、と。
わたしが「一目惚れ」したものは、わたしの思いに気づいてはくれないし、振り向いてもくれない。
わたしも、誰かに「一目惚れ」される存在になってみたいと思うようになった。
お気に入りの服を着て、背筋をピンと伸ばして、ファッションモデルかのように堂々と歩いて、これが、「最上級のわたし」だと信じて街へ出る。
通りすがりの誰か一人くらいの視線は、一瞬でも奪えただろうか。
誰か一人くらいは、手に持つスマホではなく、目の前のわたしの存在に気づいてくれただろうか。
たとえ空振りだとしても、わたしに「何か」を感じてくれただろうか。
何者でもないわたしは、誰かの何かになることを求めてしまう。
20代前半は、大都会を歩けば、声をかけられた。
その目的がいわゆるナンパなのか、それとも何らかの勧誘なのかは分からないが、人によっては迷惑だと捉えられることであっても、わたしにとっては嬉しくてありがたいことに感じた。
声をかけられた、という事実から、その人の見る世界に自分が確実に存在していると認識できるからだ。
でも、20代後半になってから、これっぽっちも声をかけられることはなくなった。
今のわたしは、街を歩いていても、誰の目にも映らない。
路地に咲く小花、寂れた喫茶店、落とし物の手袋でさえ、人の目に留まり、ましてやその人に恋心を抱かせているのに。
人間のわたしは、まるで空気のようだ。
たとえ「一目惚れ」でなくてもいい。
「二目惚れ」だろうと「三目惚れ」だろうと構わない。
いつの日か、誰かの心を動かす何かになれる日が来ると、もう少しだけ信じていてもよいのだろうか。
淡い期待を抱くことに、有効期限があるのかは分からない。
もしかしたら、その期限はとっくに過ぎてしまっているのかもしれない。
それでも、行動しよう。歩き出そう。
誰かの何かになれなくても、「一目惚れ」をしたその瞬間、そこには、心を動かされたわたしが、たしかに存在しているのだから。
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