突然やってきた心境の変化。バッサリ切るその日まで過ごす助走期間

長く伸ばした髪は、短くするときっと後悔する。髪を切るときに一度はよぎる考え。
たとえ短くしてもそれはそれ、と思う人もいるだろうが、後悔したくない、という思いが強く、なかなかバッサリと髪を切ることに抵抗がある。
思い切って短く切ってしまおうと思う私もいる反面、元に戻れなかったらどうしよう、変な髪型になってしまったらどうしよう、と周りの目がいつもよりも気になってしまう私もいる。そんな私が今、少しずつ短い髪型に挑戦している。
髪が長いのは昔からで、子どもの頃から振り返ってみてもショートカットやボブにしたことがほとんど記憶にない。いつも肩より長く、結べる長さで切ってもらっていた。
大人になってからも、仕事で髪を結んでいることが多いので、長さを変えずにいた。そのままの長さをキープしてもらい、同じ髪型をして出勤するのが私のルーティンとなっていた。しかし、心境の変化は突然やってきた。
少し短くしてもいいかもしれない。不意に髪を短くすることへの抵抗が取っ払われたのだ。
自分では考えられないくらいあっさりと髪を短くしようと思いたち、理想の髪型を探した。実はまだ模索しているところなのだが、これだ、という髪型が見つかるまでに少しずつ短くしている。
毛先の傷んでいるところを含めた数センチほどを切ってもらい、本来切るはずの長さよりも少し長めに切ってもらうようにオーダーしたのだ。髪は不思議なもので、5センチ切ると見た目が変わる。他の人は気づかなくても、私は変わったように思える。たかが5センチ。されど5センチ。髪を結んでも、髪の終わりが少し早くなった感覚がある。髪を切ったのだと思い出す瞬間だ。
美容院に行くスパンは同じでも、切る長さが伸びる長さよりも上回れば髪は短くなっていく。夏を前にして、バッサリと髪を短くする踏ん切りをつけるための予行練習として、自分の目や感覚を慣れさせる効果を期待している。
髪型を変えられなかったのにはもうひとつ理由がある。失恋や環境の変化を気にされてしまうからだ。私が髪を短くするときに理由はない。思い切りで髪を切るときのほうが圧倒的に多いのに、なぜか失恋や大きなイベントがあったのではないか、と勘ぐる人がいる。
私の周りにも心当たりがあるので、できるだけ平和に過ごしたいと思っているのも理由のひとつである。また、私が髪型を変えただけで理由を聞かれ、話題作りというよりはプライベートを探ろうとしてくる人がいる。それがとても苦手なのである。だから、なにも変化を出さず、大人しくしていようと思ったのだ。
だが最近、そんな心配は1ミリもしなくていいのではないか、と思い始めてきた。自分がやりたい髪型をすれば、自分が満足できる髪型で毎日が過ごせたら、一度人に何かを言われても小さなことにできるのではないか、と思うようになった。
これまで抑えてきた、私を開放するタイミングであり、変わった私を体感できるチャンスではないだろうかと。
髪型を変えて後悔しないかはまだわからない。正直、未知なのでドキドキする私もいる。だが、少しずつ髪を短く切ることにチャレンジすることで、後悔を少なくできるかもしれない。挑戦できた、という成功体験が大きく占めてくれたらいいと思う。
髪を少しずつ切っている現時点では、見かけ上はマイナーチェンジで、誰にも短くなっていることは気づかれないほど小さな変化だ。また次に髪を切っても、見慣れた長さで変わりのない私として映っていることだろう。今はそれでよい。誰にも気づかれないくらいがちょうどよく、大きな変化をつける助走ができるのは助かっている。
いつか来る日を想像し、理想の髪型を探しつつ、挑戦できる日を楽しみに待とうと思う。
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