22歳の冬。地元の忘年会のあと、帰りの電車に揺られていた。
「あの子、あなたのこと大好きだったもんね~」
目をとろんとさせ、頭を自立させることを完全に諦めた友人の言葉で途端に高校時代がフラッシュバックした。

“あの子”というのは、高校時代常に私の隣にいた、ショートカットのよく似合うSという親友のことだった。
Sとは小学校・中学校・高校と同じ学校に通っていたのだが、“彼女は私の親友だ”と認識したのは高校に入ってからだった。
実際、小学生の女子なんてものはクラスが変わればあっさりと一緒にいる友達が変わるし、中学時代は部活の派閥に左右されて、“気が合う”というだけでは案外一緒にいないものである。高校からは、受験という壁を乗り越え様々な地域の子がごちゃまぜになるため、小学校から同じというだけで親近感が湧き、自然と一緒に行動するようになった。
たったそれだけの理由で仲良くなった気がしていたが、今思えば、たとえ彼女と出会ったのが高校からだったとしても彼女は私の親友と呼べる存在になっていただろう。漠然とだが確かにそう思っている。

田舎ゆえになんとなく耳に入ってきた彼女の家庭環境

私の地元は、電車のドアが自動でもボタン式でもなく、引き戸のようにガラガラと手動で開けて乗りいるような、正真正銘の田舎だ。(次に帰省するときは必ずInstagramのストーリーに上げようと決意している)。
年配の方と話す時は訛りが強いため聞き取れずに愛想笑いのパートが多くなるし、駅に降り立つと土のにおいがする。
最近までそんな田舎で育ったことを「不条理だ!」などと思っていたが、この前夜行バスで帰省し早朝の地元を実家に向かってぽつぽつと歩いているとき、朝日が建物に邪魔されることなくのびのびと輝きを放っているのを見て、その美しさから手のひらを返したように涙を流してしまった。
話は戻り、そんな田舎に住んでいたため幼いころから同級生の家庭環境についてもなんとなく保護者同士の話で把握していた。もちろんSについても。
「親が離婚を繰り返しているらしい」「上の子は素行が悪いらしい」「一番下の子は誰の子か分からないらしい」
噂というのは、本当のことが少し混ざっていて100%完全に否定できないからたちが悪いのだと思う。

サバサバした態度の彼女はツンデレだったのかもしれない

たしかにSの母はシングルマザーだったが子育てと仕事を両立させる明るい人だったし、2人の兄だってタッチのように爽やかでかっこよかったし、妹だって恥ずかしがり屋で可愛らしく、少なくとも私は「いい家族じゃん」と思っていた。
肝心のS自身はというと、私が朝眠くて不機嫌なため話しかけられないようにイヤフォンをしていることを知っているくせにわざとイヤフォンを外してきたり、「やればできるし~」という劣等生の常套句を並べる私に「やることすらできないんでしょ」と吐き捨てたりする、なんともサバサバした子だった。

そのため、冒頭で記したように第三者から「Sはあなたのことが大好き」という言葉を聞くと、そんな感じじゃないけどな~と思っていたし「Sがあなたみたいになりたいって言ってたよ」などと聞いた日は想像がつかな過ぎて絶対に嘘だと思っていた。
でも、本当に私がいないところでは周りの子にそのように話していたらしいので、Sはウルトラ・スーパー・ツンデレガールだったのだと思う。

17歳の私にはわからなかった、自分の言葉の罪深さ

そんな彼女に謝りたいことがひとつ。
時は忘年会後の車内に戻り、「あの子、あなたのこと大好きだったもんね~」と言った後に友人がこう続けた、「でも一回Sが落ち込んでいるのを見たことがある」と。
なんだろう、正直思い当たる節はたくさんあった。親友に喧嘩はつきものだもの。
しかし、Sが落ち込んでいた原因は私が全く想像していなかった、というか記憶にすらなかったできごとだった。
「Sの携帯電話が使えなくなったとき、『そんなの毎月忘れずに支払いしたらいいじゃん』って言ったでしょ。S、『それができない家だってあるのにね』って言って暗い顔してたよ」
心臓が押さえつけられたように痛かった。自分が言った言葉の罪深さが22歳の私には分かった、どうして17歳の私は分からなかったのか。
Sの携帯はしょっちゅう使えなくなっていた。当時私にはそれが不思議でたまらなかった。
自分の生活に関係している経済は自分の目に入らないところで勝手に回っていて、高校生の自分は目の前のしたいことに何も考えずに飛びついていたし、高校生というものはみんなそうなのだと思い込んでいた。
もちろん、家庭によってお財布事情が違うことは理解していたが、それによって子供が我慢を強いられる場面があることを純粋に知らなかったのである。

本当に謝りたいことだど、優しい沈黙を絶対に守らなければならない


どうしてあの時わたしに直接言ってくれなかったのだ、などとは一ミリも思っていない。
家族を大切に思うSだからこそ、私の軽率な言葉に一言で返せるほどシンプルな感情ではないはずだ。もしかしたら、自分の常識を疑わずに突き進む私に水を差さないように、と思ったのかもしれない。
理由は推測することしかできないが、そんなことを言ってきた私と何事もなかったように泣き、笑い、高校を卒業して今も親友でいてくれていることは事実だ。
実に5年もの間、私はSの優しい沈黙に包まれていたのだ。

これは本当に謝りたいことだ、だが同時に、絶対に謝りたくないことだ、と思った。
Sの優しい沈黙を、私はなにがなんでも守らなくてはいけない。
“謝らないほうがいい謝りたいこと”が存在するのだと、Sの優しさが教えてくれた。
友人が隣で寝息を立てたのを確認し、SとのLINEを開く。
ものすごくどうでもいいスタンプを唐突に3つ送った。私たちはこれがいい。