一人暮らしをするにあたり、色々と家財道具を揃えなければならない。私は調べ物に明け暮れていた。
照明を探していた際、とても素敵な照明と出会った。大小六つの平べったい丸のランプが付いたシャンデリアのような照明だった。そのうち小さい三つのランプには、星空の模様が付いていた。星空の模様がランプに照らされて天井に映るようになっていた。
私はもうこの照明以外、考えられなかった。一目惚れだ。でも、即決はできなかった。

問題は値段と販売元の信憑性だった。素敵な照明なので、それなりのお値段がする。お値段以上の家具屋さんの照明が六つくらい買えるのではないかというくらいだ。
そして販売元がよく分からない海外の会社だった。そもそもこの照明は海外のオシャレ素敵セレブメーカーのデザインだった。私が見付けたのはそれのパチモンだった。
怪しい、怪しすぎる。そもそも届くのか怪しいし、設置出来るか、ちゃんと点くか、何もかも怪しかった。これが欲しいとSNSで呟いたら、火花が出るんじゃないの?と言われるような怪しさだった。でも、その怪しさを凌駕する素敵デザインだった。

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他の照明を買うことなんて考えられず、意を決して照明を注文しようとした。しかし運悪く春節のタイミングで、在庫切れだった。ここで諦めても良いのだが、春節が終われば入荷するということで私は待つことにした。
そんなわけで、しばらく照明がない状態で暮らしていた。リビング以外には照明はあったし、暗くなったら寝るようにしていたため、不自由はなかった。

薄暗い病院での生活が長くなり、二十一時消灯に慣れていた。数年前、冬の晴れ間にせっせと散歩をして運動不足を解消しようとしていたら、雪目になってしまったことがある。それ以来、人工的な光も太陽の光も、人一倍眩しく感じ、明るさが苦手になった。

そういった理由もあったのだろう。不自然な生活だったが、日の出、日の入りに合わせた、ある意味、自然な生活だった。

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春節が終わり、やっと在庫が復活したので注文した。空を飛び、海を越え、やっとやっとで届いた照明は、すぐ設置できる状態ではなかった。配線などの組み立てを自分でしなければならなかったのだ。もうお手上げである。
幸いにも近所に昔ながらの電気屋さんがあったため、何とか頼み込んで組み立ててもらった。そうしてやっと設置したものの、何故か常夜灯が消えず、部分的にはスイッチを押しても点かない、妙な仕上がりになった。
ここまでで合計でいくらかかったか、計算したくもないくらいの金額なのに、残念な結果である。でも布団に入り、星空模様の常夜灯を見ると、何とも言えない気分になった。

私の家族事情を知る親しい親族に、実は退院していて、少し前から一人暮らしを始めていたと報告した。親族は私の負担にならないよう、簡潔なメッセージを返してきた。「おめでとう。自分だけのお城だね」と。

それを見た瞬間、あぁ私は自分だけのお城がほしかったのかと納得した。お城と言えばシャンデリア。我が家は見上げれば星空、まさしくお城である。

星空模様の常夜灯を眺める時の何とも言えない気分は、自分だけのお城を手に入れたぞという、じわじわとした満足感だった。

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しかし、星空照明との別れは早かった。最初からやや不良品なので、仕方がなかったのだろう。室内物干しを移動させる際、よく照明にぶつかってしまっていた。その度、パチパチと火花が散るような嫌な音がしていた。点かなくなるときも増え、最終的にリモコンが利かなくなり、消えなくなった。
照明が消えない不便さより、品質の疑わしさから火事などに繋がってはならないと照明を交換することにした。そして、ごくごく普通の照明に変わった。この照明はなぜか常夜灯が目玉焼きっぽい。

その頃には、我が家は自分だけのお城じゃなくなっていた。恋人と半同棲し始めたからである。いざとなったら恋人には自宅に帰ってもらえば良いという安心感はある。ただ我が家が生活拠点となっているため、現実問題、私に関しては自分だけの空間が確保されていない。

恋人の滞在期間が増えれば増えるほど、ストレスが溜まる。恋人と過ごす時間は楽しいけれど、それはそうとしてやっぱり自分だけのお城が欲しいなと思う。自分だけのお城だった頃を懐かしみながら、今夜も目玉焼きっぽい常夜灯を眺めている。