「選挙に行って、何が変わるの?」

声を大にしては言えないけれど、そんな気持ちがずっと胸の奥にあった。民主主義が民主主義であるために、選挙が大事な制度であるという事はもちろん理解しているし、「行かなければならない」という正論も耳にタコができるくらい聞いてきた。それでも心の中では「どうせ行ったところで変わらない」という悲観的な思いが渦巻いていた。

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では、なぜ「行かなくてもいい」「行ったところで何も変わらない」などと思ってしまうのか。私自身の経験を振り返って考えてみると、大きく三つの理由が浮かび上がった。

一つ目は、若者の声が反映されにくいという現実だ。若者の人口はそもそも少なく、選挙に行っても影響は微々たるものではないかと思ってしまうのだ。どうせ変わらないのなら、わざわざ行く必要はあるのだろうか、と考えるのも無理はない。

二つ目は、政治に対する関心と知識の不足だ。大学生になってからニュースを見る機会が減り、政治家や政策についてもよく分からなくなってしまった。実際、家にテレビがない、という一人暮らしの学生も多いのではないだろうか。そんな状況では、「この人に任せたい!」と確信をもって候補者を選ぶことはなかなか難しい。私自身、政治や政治家についての理解が乏しく、だれに投票していいかよく分からなかった。

最後三つ目は、単純に面倒くさいからだ。わざわざ時間を空け、物理的に距離のある投票所まで出かけるのはなかなかハードルが高い。まして興味のないことであったら、なおさら面倒くさく感じるだろう。

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しかし、そんな考え方が変わるような出来事があった。それは大学の授業で「選挙制度とこれから」というテーマの授業を取ったことである最終授業の発表に向け、プレゼンを作るため情報収集をしていく中で、ある事実に気が付いたのだ

それは、若者の声が反映されない、というのは、そもそも若者自身が投票に行っていないからなのでは?という事だ。確かに人口的に不利かもしれないが、「どうせ変わらない」と諦めてアクションを起こさなかったら、投票率は下がる一方だ。つまり、選挙に行っても変わらないという現状を、自ら作り出してしまっているのではないか、ということだ。

この発見に加えて、私はインターネット投票の導入の必要性を強く感じた。あくまで私個人の意見だが、この制度が導入されれば、先ほど挙げた三つ目の面倒くさいという理由も解消されるのではないか。現場に行くのが難しい人や時間をとれない人でも、自宅や外出先から手軽に投票できる仕組みがあれば、参加のハードルは格段に下がる。初期費用は掛かるかもしれないが、長期的に見て投票率の増加や人件費・集計作業の削減につながるなど、デメリットを差し引いても有り余るほどのメリットがある。このように、インターネット投票の導入など制度が充実すれば、効率的で公平な選挙がより現実的になるのではないだろうか。

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インターネット投票の導入はそんなに遠い未来ではないかもしれないが、少なくとも現段階では困難だろう。その間私は、「変わらないから行かない」のではなく「変えたいから行く」という選択をし、一票を投じようと思った。自分の未来に少しでもかかわることに、何の行動も起こさない自分でいたくない。何かを変えるためには、自分が変わらなくてはならないのだ。