先生という生き物が、昔からずっと苦手だった。
勉強しろだの、遅刻するなだの、私の自由を奪ってくる悪魔みたいな存在で、できるだけ距離を置いて生きてきた。

なのに、まさか人生で一番恋をしてしまう相手が「先生」だなんて……数年前の私が聞いたら笑い転げてしまうだろう。

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私はいまでもはっきり思い出す。あの春のホームルームで、あなたがプロジェクターに映した自分の履歴書を指し示して、少し俯き加減で「こんな人間です」と自嘲するように笑った柔い声を。
教室の窓から差す光の中で、ホコリが舞っていた。外はまだ冬の冷たさを少しだけ残していて、開け放たれた窓から桜の花びらが一枚だけふわりと机の上に落ちた。

どうしてだろう、と思う。
私はきっと、あの時もう心を奪われていたのだろう。
人生を俯瞰して語るあなたの孤独が、自分の孤独に重なった。私の胸の奥にずっと棲みついて離れなかった、誰にも知られたくない弱さを、あなたなら抱きしめてくれるかもしれないと、勝手に思ってしまったのだ。

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最初の告白なんて、半分冗談だった。
「先生と結婚してみたいなー」と笑って言っただけ。
恋なんて面倒くさいし、どうせ本気になんてなれないと高を括っていた。
でも、廊下の窓辺で笑ったあなたの横顔を見た瞬間、心臓が止まるかと思った。あの時、あの瞬間を境に、私は戻れなくなった。

恋をしてはいけない人を好きになるのは、背徳だ。
だから、何度も何度も捨てようとしたのに、結局捨てきれなかった。
保健室のカーテンの奥で、泣きながら「来世はあなたの子供に生まれたい」なんて、どこまで惨めで幼い告白だろう。それでも、そう言わずにはいられなかった。
だって、どんな形でもいいから、あなたに近い場所で生きていたかったから。

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恋に落ちた香りは、チョークの粉とインクの混ざった教室の匂い。
あなたがすぐ傍に立つだけで、シャンプーの微かな匂いと、いつもポケットに入れているハッカ飴の香りが私を撫でて、胸が苦しくなった。息をするだけで苦しくて辛くて、幸せだった。

叱られるのも好きだった。
怒られるなんて、大嫌いだったはずなのに。
「もう少し真面目に生きろ」と言われるたびに、この人は私をまだ諦めていないんだと、勝手に思っていた。
私を、まだ、手放さないでいてくれるんだと。

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叶わないと分かっていても、叶えたいと願ってしまった。
あの日々は、私の中で確かに一目惚れの延長線にあって、でもそれだけじゃなかった。
人より少し恋愛経験が多かった私が、本気で「人を好きになるとは何か」を教えられた、最初で最後の恋だったのだと思う。

一人でしたいことなんて、今もカラオケくらいしか思いつかないのに、あなたとだったら何をしたいか数えきれないくらい溢れてくる。
海に行きたい、遠くまで歩きたい、同じ布団で昼まで眠りたい、私のくだらない話に笑ってほしい。
どれも叶わないと知っているのに、今もこうして文字にしてしまう自分が滑稽で愛おしい。

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卒業したら忘れると、あなたは思っているかもしれないけれど、私はたぶん、ずっと忘れない。だって私の胸に、あなたの笑った横顔が、あの教室の窓から見えた桜の花びらと一緒にずっと生きているから。
もし誰かと結婚して、子供を産んで、歳を取っても、きっと春の風が吹いたら思い出すだろう。
「先生、元気かな」って。
そうやって、一目惚れの証明を、生きている限りずっと繰り返すのだと思う。

あの時の私を、愛おしいと思ってくれるあなたであってくれたらいいな。
誰よりも先に、私の秘密を知ってくれたあなたへ。
何度も言うけれど、あの時、一目惚れして本当に良かった。
もしも世界が滅んでも、この恋だけは私の中で生き続けると約束する。

今日も、あなたがどこかでだれかと笑っていますように。