人間は横着で欲張りな生き物である。故に産業は、最小限の負担行為で最大限の利益を追求することで成り立ってきた。洗い、すすぎ、脱水の三段階の洗濯も、今やボタン一つで完結してしまう。一回の投石で鳥を二羽落とすどころか、五羽も十羽も落とすことが可能になるのが現代社会なのだ。
一石二鳥、一挙両得。これらのアンチテーゼの一つとして、「二兎を追う者は一兎をも得ず」という言葉が存在する。
どちらが間違っていて、どちらが正しいというものでもない。むしろ、自分がどちらのタイプなのかを考えて行動することが大切なのだと思う。広く浅く定量の利益を追うか、狭く深くタスクを一つずつ掘り下げていくかの違いである。

私は完全に後者だ。どうして前者のようにできないのだろうと、つい最近までコンプレックスだった。
もし同じような悩みを抱える人がいるなら、参考になればと書いておく。

複数の情報が入ってくると、必要な情報との線引きができない

今までの投稿でも度々触れているが、自閉症スペクトラム障がいという発達障がいの診断を受けている。スペクトラムというくらいなので、症例における得手不得手などの特徴の出方は千差万別だ。

特に私が苦手とするのは、五感の情報処理である。使っている器官に同時多発的に知覚情報が流れ込むと、必要な情報と不要な情報の線引きが出来なくなる。
先日は課長から業務の指示を受ける際に、すぐ隣で他の上司が同僚へ別業務の引継ぎをしていた。更に、別拠点からの電話が鳴った。
人間の脳は、不要な音からフォーカスさせて必要な音のみ拾えるようにできている。雑踏の中でもある程度は会話ができるのはそのためだ。私はこの処理が十分にできないため、一番に集中すべき課長の声を聞き逃しそうになってしまった。別の上司の声と、電話の音も聴こうとしてしまうのである。
話が終わる頃には、休憩と頭の整理が必要なほど疲れてしまっていた。結局、業務に取り掛かれたのは十分後だ。

課題を片付けるのにも時間がかかるのに、次々と積まれていく

情報処理に時間がかかるため、次への切り替えも当然ゆっくりだ。
中学生まではそこまで気にしなかったのだが、高校ではそうはいかなかった。知覚刺激の同時発生はないものの、一つひとつの情報が複雑なので授業のペースについていけなかった。
放課後には、心身ともに消耗し尽くした状態で部活である。校訓や教育目標に文武両道を掲げている学校は多い。強制ではないものの、課外活動団体への所属が推奨されていたため、一年生の時のクラスは加入率100%だった。掛け持ちで陸上とバンドをこなしながら、学年主席レベルの成績の人もいた。
一つ課題が終わる頃には、新たに十や二十の課題が目の前に積まれている。体感としては、そのようなペースで日々が続いた。年が明けるころには、朝に目が覚めなくなるのを恐れて寝付くのが難しくなった。
誰にどう責め立てられても、上手く言葉が出ない。部活の間は割れるような頭痛。うつ病の症状が出始めていた。

結局気力は戻らず、高卒認定に合格してすぐに高校は辞めた。一浪して大学には受かったものの、うつ病や発達障がいを放置していたせいで、またも勉強と部活の両立に失敗。一人暮らしで抱え込んだのがいけないのかと寮へ編入した。
が、今度は部活の代わりに寮の運営業務だ。二羽のうさぎどころか八十羽の群れのマネジメントを並行しなければならない。障がいのことはクローズドにしていたから、ヒューマンエラーも多く起こしてしまった。

もう二兎は追わないと決めたら、少しだけ生きやすくなった

退寮して実家に帰り、医者にかかった。自閉症スペクトラムを指摘されたとき、私は腹をくくった。
文武両道はもう目指さない。情報の同時処理や複雑なタスクが障がいの特性上無理だというならば、二兎を追う生き方は向いていないということにやっと気づけたのである。
単位を取る。それを優先して生活スタイルを組み立てて、最後の二年をやり切った。
平日は三食きちんととり、早寝早起きを徹底する。課題は出されたその日には手を付ける。週末は夜行バスで帰ってカウンセリング、もしくはアルバイト、あるいはリフレッシュと切り替えた。
周りの支援もあって、一人暮らしでも卒業までやっていけた。

「二兎は追わない」という決断で、私は少しだけ生きやすくなった。
最初の会社は一人で二兎も三兎も追うことを求められて大変だった。今の職場は、どれから取り組めばいいか、ゆとりを持って具体的に指示を出してもらえるので、落ち着いて業務を順番にこなせている。
進路決定には自己分析が不可欠という。その取りかかりとして、「一石二鳥」か「二兎を追う者は一兎をも得ず」のどちらが自分に向いているかを考えてみるといい。障がいの有無に関わらず、一人ひとりの適性を活かせる生き方に、出会いやすくなるのではないだろうか。