鏡の前で躊躇う毎日。背中を押してくれたのは空色のワンピースだった

着たい服を着ようとするだけで、どうしてこんなに心が騒ぐのだろう。
友達がいつもと違う装いだったら、少しだけ緊張してしまうのは、私だけだろうか。
その装いがが似合っているとか似合っていないとか、そんなことは関係ない。見慣れている人が、髪型を変えたり、雰囲気の違う服を着ていること。同じ人だと思っても、私の脳にとってその人は「初対面の人」として映るのだ。そんな時、私は少しだけ、ほんの少しだけ、胸の鼓動が早くなる。
そしてそれは、私自身にも適応される。
つまり、それはこうだ。
私がまだチャレンジしたことのない雰囲気の服を着たりする。すると鏡に映った私を「別の人」だと脳が認識する。そのため、新しい雰囲気の服に慣れるまで、時間がかかる。
もちろん、似合っているかな?という不安、心配のドキドキでもあるのだが。
そんな訳で、人見知りの私には、新しい服を着ることが難しい。
最近、私は韓国風の服を着てみたい。肩のあたりに少し露出があって、おしゃれのためだけの紐がついている服を着てみたい。最高に可愛いと思う。あとは、ウエストがよく分かる服が着たいと思っている。非常に可愛い。
そこで私は韓国通販のアプリケーションを入れてみた。何を思ったか、私は6個のアプリを入れた。
私は迷った。
このデコルテが見えるトップス可愛い!
こっちのタイトスカートも似合うだろうな。
ミニスカートは…ちょっぴり恥ずかしいな、やっぱりロングスカートだな。
ショッピングを楽しみつつ、さて、どの服を買おうか。と、考えた。いざ買うとなると考えることは沢山あった。本当に似合う?買って似合わなかったらどうしよう。通販で買うのって、試着ができないから勇気がいるよなぁ。この辺りにこの韓国風の服屋さんは無いし…いつもの清純な雰囲気の服の方がいいのかなぁ。そんな風にも考えた。
一度そう考えると、脳とは不思議なもので、服を買わなくてもいい理由を次から次へと思いついた。今ある服もまだ着れるし、それも可愛いよな、などと。
結局私は勇気が出せず、韓国風の服を1着も買わなかった。それは私にとってかなり屈辱であり、少々の後悔の念を抱かせた。
「本当に似合うかな?」と迷うとき、それはただ服の問題ではないのかもしれない。私は、自分が“そんな私”になってもいいのかを、試されているような気がするのだ。
けれども先日、街中でとても可愛いワンピースを見つけた。空色で、背中が大きく空いている形をしていて、キャミソールを着ても少し背中が見える。
試着してみるととても可愛く、心が弾んだ。
背中だけでも、こんなに露出がある服を着たのは初めてだ。(大丈夫かな?)と不安が頭をよぎる。けれど、あまりの可愛さに私は迷わず、この服を手に入れた。その時、心に風穴が空いた。それは変化の風穴だ。こんな小さなことからでもいいと思う。私は少しずつ変わっていって、少し時間はかかるかもしれないけれど、きっと、韓国風の服までたどり着く。この空色のワンピースを着て鏡の前に立つと、私はそんな気がしてならない。
私は今年あと何着の服を買って、どれくらい理想の服たちに近づけるのだろう。なりたい私、着たい服。そこへ進んでいく過程も楽しみたいと思う、今日この頃。きっと、そこへ行く道のりはもう進んでいるのだろうと、私は思う。空色のワンピースは、その歩みの中の一歩。鏡の中の私は、少しだけ誇らしげに微笑んでいた。
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