友人が「着てほしい」と言ったワンピース。咄嗟「絶対無理」と言った

友達と買い物をしている時、あるお店の前で友達が立ち止まった。そして、マネキンを指差して「これ着てほしい!」と私に言ったのは、フリフリの水色のワンピースだった。しかも胸元には黒いリボンがついている。私は咄嗟に「絶対無理だよ」と言った。

その頃の私は、どちらかと言うとカジュアルな服を着ていた。しかし、友達は既にお店の中に入って行き、ワンピースを手に取っていた。
仕方なく私もお店に入ると、私の体に服を当てて、「ピンクより水色の方がいいね」と楽しそうにしている。そこへ店員さんも来て、「新作なんですけど、かわいいですよねー」と声をかけてきた。私は逃げるタイミングを見失ってしまい、勧められるままに試着室へ向かった。

試着して鏡に映る自分を見ると、恥ずかしくて顔が真っ赤になった。膝丈のワンピースなんて高校の制服で着て以来だったから、脚が出ているのは落ち着かない。下半身太りしやすかった私には、ハードルが高かった。こういう服は、もっと細くてかわいい女の子が着るべきだと思った。

いつの間にか遠ざけていた「女の子らしい服」を着てみたかった

試着室の前で待ってくれている店員さんと友達に見せる自信がなくて、恐る恐る試着室の扉を開けると、「すごい!かわいい!お人形さんみたい」とキラキラした笑顔で友達が言ってくれた。店員さんも「似合ってます」と言ってくれた。
お世辞かもしれないけど、褒められると気持ちが良くなって、「そうかな」なんて照れ笑いしながら裾をひらひらさせた。他にも褒め言葉をたくさん言ってくれて、本当に似合っている気がしていくのを感じた。

その時にはもう恥ずかしさはほとんど消えていた。振り返ってもう一度鏡を見て、「これ買います」と言った。
大学生の私には決して安い値段ではなかったけど、買って良かったと思っている。私には似合わないと決めつけて遠ざけていたけど、本当はこういういかにも女の子らしい服が着たかったのだ。

試着した時、恥ずかしいという気持ちだけでなく、楽しいという気持ちも確かにあった。自分の気持ちに蓋をしなくてもいいということを、そのワンピースが教えてくれた。
着たい服を着る。こんなに簡単なことだったのだ。

自分の心に正直になれた今、クローゼットの中は「好き」で溢れている

このことに気づいてから、自分磨きが楽しくなった。あの服を着たいからダイエットを頑張ろうとか、姿勢良く歩こうとか意識が高まっていった。服を買う時も「これでいいか」ではなく、「この服が着たい!」と心がときめく方を選ぶようになった。

「私なんて」と諦めていたら買い物だって楽しくない。自分の心に正直になったから、今ではクローゼットが私の好きで溢れている。妥協して買った服は1着だってないから、全て1軍の勝負服ばかりだ。
今は年齢的にそのワンピースは着れなくなったけれど、私の心の奥底にある気持ちを引き出してくれた嬉しさをいつでも思い出せるように、クローゼットの真ん中の1番見やすい所に掛けている。

あの時、友達がそのワンピースを勧めてくれなかったら、今でも自分の着たい服を着れていなかったと思う。ファッションは楽しむものであり、自分らしさを表現するということに気づかせてくれた友達とワンピースに感謝している。