私が一人暮らしを始めたのは、25歳の春。
京の街を少し外れた丘の上に、ひっそりと佇む二階建てのアパート。その一角で、人生初めての一人暮らしを始めた。

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最寄りのコンビニまでは、坂を下って徒歩10分。稀に響く「熊出没注意」の町内アナウンス、その全てが真新しく、身が引き締まるような場所だった。
運転免許証も持たない私が、それでも、ここを選んだ理由は、部屋の窓から見える景色に強く惹かれたからだった

どんなに心細い帰り道でも、窓の奥に広がる京の街並みが、すべてを忘れさせてくれるような気がしていた。

2つ下の妹と同室生活だった実家暮らしの頃は、日々の喧騒に流され、立ち止まって考える事も、自分の気持ちに目を向けることも少なかった。

ただ、流されるように、時間だけを生きていたように思う。

たった一人、知らない街で暮らし始めた私に、様々な試練が降り掛かった。
その一つに、黒光りの「ヤツ」の登場がある。

初めて遭遇した時は、恐怖よりも悲鳴が先に飛び出していた。
悍ましいほど滑らかに、目の前を徘徊する「ヤツ」絶望と人生の不条理さを噛み締めながら、咄嗟に、遠く離れたプロフェッショナル(母)へ、助けを求めた。

しかし、やがて残酷な現実に気が付く。
「ヤツ」と今戦えるのは、私しかいない、という現実に。

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その後の記憶は曖昧だが、気が付くと私は「ヤツ」に打ち勝っていた。
祝杯をあげるかのように、京の街は、眩しく輝いていて、「ヤツ」もまた、静かに、眠っていた。

度重なる小さな試練は、現実と向き合うきっかけとなり、その後の人生の糧になった。

一人暮らしを始めて、孤独を感じることも増えたように思う。
実家暮らしの頃は、常に何かの気配と雑多な温もりで溢れていたが、一人暮らしでは、静寂と隣り合わせになる。
そんな時、ふと辺りを見回すことで、少しだけ、心が救われるように感じることがあった。

その後の記憶は曖昧だが、気が付くと私は「ヤツ」に打ち勝っていた。

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京の街は、私の日々を穏やかに満たしてくれた。

朝方には神社の鐘音が街を包み、藍色の空は、黄色や朱色たちと鮮やかに溶け合い、太陽を迎える準備をする。
夏の時期、決まってやってくるヤモリに、こっそりとあだ名をつけたり、外で歌うコオロギの声で眠ったり。
寒さが増す冬には、辺り一面が雪で覆われ、息を呑むほどの美しい雪景色に出会えたり。

一人暮らしのはずが、一人じゃないような、孤独の中で、日々の暮らしに小さな安らぎを探していた様な。そんなたくさんの思い出の詰まったこの家で、約3年の時を過ごした。

私が望んで、選んだ、一人暮らし。
振り返ると、その経験は、私自身を強く結びつけ、成長させてくれる、貴重な財産になったと感じている。

そのときに気づいた『ひとりの価値』は、29歳の今、しっかりと人生の支えとなっている。