「来月から、東京で働くから」
成人式を控えた年の年末に、何の前触れもなく両親へ突然放った言葉だった。
山や川に囲まれた田舎で生まれ育って20年、誰もいない世界へ飛び出して、人生を一からやり直したくなった。

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高校卒業後に入社した地元の大手企業はブラック企業で、人を選ばず、お局様の気分で順番に回ってくるイジメに耐えられなくなり、2年で辞めた。
両親には退職の事も曖昧にし、お局様から逃げたい一心で誰にも言わず地元から約300㎞離れた場所へ職探しに行った。

驚くことに、後に内定を頂けることになった企業の社長さんからとてもよくして頂き、全てとんとん拍子に進んだ。
「住む家を決めて引っ越しを済ませて、いつから働けるかな」
社長さんからの言葉に、私は二つ返事で「2か月後で」そう答えた。
そうして冒頭のセリフに至る。

特に家族関係が悪かったとか、そういうこともなかったのだが、お局様それだけでと思うかもしれないが当時の私はとにかく恐れていた。
逃げたくて、居場所を知られたくなくて、変に地元や県をまたいだところで会って嫌な思いをするくらいなら、いっそのこと遠くに逃げたくなった。

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それからはとにかく毎日が早かった。
一ヶ月で住む家の内見や引っ越しの準備を終わらせた。
地元を離れることも一人暮らしも全て初めてだったので不安もあったが、何より現実を理解するまでに時間がかかった。
それは両親も同じ気持ちだ。

寂しさに触れる間もなく突然飛び出した娘なのに、両親は「できるところまで頑張っておいで」そう言って送り出してくれた。
その時、やっと現実を少し突き付けられ、新幹線の中で声を押し殺して泣いた。
乗り継ぎを繰り返し現地に着くころには涙も引き、希望に満ち溢れていたのを今でも覚えている。

そうして私は夢だったエステティシャンとして働き始めた。
一人暮らし、都会に住むこと、にぎやかな街中、夜中でも響き渡る声、光がたくさんの町、ホワイトな職場、何もかも初めてでいっぱいだった。
全ての事がひと段落した約2か月後、待ち受けていたのは新型コロナウイルスだった。
私の職場は大打撃を受け、客足が減り、予約のキャンセル、サロンの営業停止、リモート会議、色んな挫折をした。

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月の半分以上1Rの家にこもり、一人知らない街に来たこと、友達がいないこと、家族も頼れる人もいない土地、忙しくて考える暇もなかった現実をやっと理解した。
とたんに寂しくて、辛くて、大好きな家族に会いたくて毎日泣いた。
良からぬことを考えたり、後先の事を考えずに行動した自分を何度も責めた。
そうして決断をした。退職。
私の都会暮らしは3か月で幕を閉じた。

「仕事辞めた。明後日、帰るから」と両親に伝えた。
2日で寝る間も惜しんで引っ越しの準備をした。
社長さんは突然の報告になったにもかかわらず、またいつか戻っておいでよと言ってくれた。頭が上がらない気持ちでいっぱいになりながら感謝の気持ちを伝え、後にした。
地元に帰ると家族が迎え入れてくれた。
振り回して怒られるかと思ったが、人生の勉強だと思ったらいいじゃんと励ましてくれた
家族の温かさに涙が止まらなかった。

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初めての都会暮らしで得たものは私にとって大きな財産となり、今は安定した職場で働いている。
お姉ちゃんのような先輩が沢山いて、一人寂しくならないように気にかけてもらったことや、休みの日はおうちに招いてもらって映画を観たこと。
私自身の勝手な感情で動いたのに今も変わらず、定期的に連絡をくれる先輩たち。

時間がたち、気持ちに余裕ができた今あの頃のことを考えると、感謝の気持ちでいっぱいだ。
この話を友人にすると、「行動力すごすぎ」や「波乱万丈だね」と言われがちだが、これでよかったと自信を持って言える。
これから先、テレビやSNSであの街を見るたび、当時の出来事を思い出すに違いない。

短い期間だったけど、コロナウイルスが落ち着いたら、今度は観光としてあの街に行きたい。思い出に新しい私を見せに。