私は高校3年間を日本から遠く離れたフィジーという国で過ごした。今回はフィジーでの暮らしについて書いていこうと思う。

◎          ◎

留学しようと思ったきっかけは至って単純だった。表向きは貧困について肌で感じて学びたいから、でも本音を言えば留学ってなんかかっこいいなと思ったからだった。

母から留学を勧められているあいだは絶対に留学なんてしてやるもんかと気張っていたが、ある日何を思ったか分からないが、留学したらかっこいいんじゃね?と思い立って「フィジー行くわ」と母に告げたのだった。

そこから試験を受けてあっさり合格、そこから私の留学生活が始まった。私は留学を決めた頃、とても気の弱く繊細で緊張しいだった。人の目を気にして、なかなか行動に起こせないし自分から他人に声をかけるなんてもってのほかなくらい内気な性格だった。

◎          ◎

しかし、留学が終わってみれば一転、大分成長をして帰ってきたと思う。前と比べれば自己主張も得意になったし、底なしに明るいと言ってしまうと誇張しているように感じるが、まあそのくらいの変化をとげた。

周りに聞けば思い切りがいいとか、心が強そうなんて言われるほどだ。実際はまだまだ慎重派だったりもするが、今はそれほど重要じゃない。そう見えるということが重要なのだ。私を変えた留学生活について簡潔に書いていく。まずフィジーという国はオーストラリアやニュージーランドの近くにある極めて小さい島国だ。暑い国で年中真夏と言っていいくらいの気候だった。

◎          ◎

フィジー国民は皆陽気でフレンドリーな人ばかりだった。暑い国だからということもあるのか、独特な時間感覚があり日本で言う沖縄のようなゆっくりと時間を過ごすカルチャーがある。別名フィジータイムといい、それによって店でもタクシーでもよく時間通りにサービスが行われないが、それすら楽しめる国柄だった。フィジーにはフィジー人とインド人がいて、フィジー人は陽気でルーズで超ポジティブ、インド人は金銭面で几帳面だったり割ときっちりしていたりして色々な人種の人と接する機会があり楽しかった。

また、フィジーでは現地の高校に在籍していたのだが、日本人ということも相まってか、周りの友人がよくケレケレという文化にひどく巻き込まれていた覚えがある。ケレケレとはみんなのものは自分のモノ、自分のモノはみんなのものという文化で、現地の人達は、家も車も何もかもシェアして生きているのだそうだ。

最初は盗難被害にあったりして参っていたけれど、そのうちとられたくないものはそれなりの対策をして、それ以外はクラスメイトに貸すし、無いものはまわりから借りるようになってすぐフィジーの文化に慣れていった。

個人的にフィジーでの良い経験といえば何にでも楽しく挑戦できるようになったことだと思う。失敗しても周りの人は笑い飛ばしてくれるしそれが私も心地よかった。フィジー人は底なしに明るいのでそれに感化されて私まで明るく楽観的になれた。性格というのは多かれ少なかれ周りから影響を受けるし、伝染するものだと私は思う。

◎          ◎

フィジーで学んだことといえば、なんでも楽しいかどあかで判断するということはもちろん、楽しくいられる環境を自分で作るということ。自分が自分以外のために生きるなんておかしい。自分勝手に生きることの何が悪いのだろう。それくらいに思っていればなんでも上手くいくものだ。

フィジーで辛いことも泣きたくなることも多くあったし、卒業までやって行けるのか不安になったこともあったが、そんな不安も馬鹿馬鹿しくなるほどあっさりと3年はすぎてしまい、フィジー色に染って日本に帰ってきた。

この経験は私の一番の誇りだし、これからも忘れることはないと思う。あのいい加減なきっかけが私をここまで変化させたのだ。人生もそういうものなのだろう。私を変えたのはフィジー人の誇り高きFiji vibesだった。