私は大学進学を機に1人暮らしを始めた。これで3年目になる。1人で生活を回していくことがかなり馴染んできた今思うことは、1人暮らしは本当に一長一短であるということだ。

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まず私が1人暮らしを始めてから得られた最大の収穫は、自分の興味に正直になれたことだ。

私の場合、料理、映画・舞台鑑賞、そしてエッセイの執筆も1人暮らしを始めてからハマった。どれもこれもきっかけは高尚なものではなくて、全ては「明確な理由はないけど、なんかやってみたい」がスタートラインだった。そうすると、今まで知らなかった自分がひょっこりと顔を出してきた。自分でもこんな一面があるのかと意外に思いつつも、自分の理想的な生き方の糸口が見つかったような気がした。

そして、家族と離れることでその大切さが身に染みてわかった。「ただいま~」と言うと誰かの「おかえり~」の声が聞こえて、辛い時に話を聞いてくれて、温かいご飯を作ってくれて、しょうもないことを言って笑わせてくれる。

どれも昔はそこにあることが当たり前だと思っていたことが、実は全く当たり前ではなかった。1人暮らしを始めなかったらきっと気づくことにもっと時間がかかっただろう。その時に感じた強烈な孤独感や寂しさに耐えるのは確かに辛かったが、今では経験することができてよかったと心から思う。

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そして、大変だったこともついでに。1人暮らしは読んで字のごとく1人だ。何を当たり前のことをと思ったでしょう。どんなに疲れていても、どんなに悲しくても1人。わかっているはずなのに、私以外誰もいない静かな部屋を目の前にすると今でも時々その事実に心が折れそうになる。

ある時は私だけのオアシスのように感じていた部屋が一瞬にして私を閉じ込めるような冷たい檻に様変わりしてしまったように感じる時がある。この気持ちとはまだ上手に折り合いをつけることができていない。

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大学には私のように1人暮らしの人もいれば、実家で暮らす人、様々な生活スタイルの学生がいる。1人暮らしというとその次には決まって「偉いね~!」という言葉を贈られた。実家暮らしの人から冗談半分で「私は実家暮らしだからな~」と謙遜されることもしばしばだ。

だが、少し前からその言葉に違和感を覚えていた。確かに1人で暮らしていくことは大変だ。実家で暮らしていた時より、やらなくてはならないことが格段に増えた。でもそれが本当に「偉い」に直結するのだろうか。一人で生活すること、誰かと共に生きること。多分どっちにも良さと苦しさの両方がある。きっと私の1人暮らしの大変さは他者に100%伝わっているわけではないだろうし、逆に実家暮らしの人ならではの大変さも私は100%わかってあげることはできない。

私は家族と共に囲む食卓を恋しいと思う時があるが、逆に「1人暮らしって自由でいいな」と言われたこともある。私も相手もお互いが置かれている環境をうらやましいと思うばかりで、自分の手の中にあるものにはいまいち上手にピントを合わせることができない。

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「ありふれた日々」は止まることを知らないし、その日々に耐え忍んで生きていくことは想像以上に疲れる。誰がどこで誰とどんな暮らしをしていようともそれに立ち向かって生きているだけ十分に「偉い」じゃないか!というのが今の私の結論だ。

別に私は誰かからの「偉い」の一言が欲しくて1人暮らしをしているわけではない。単にそうするしかなかったからだ。すごく後ろ向きに聞こえるかもしれないが、そうやって受け止めて、流していくことにだってエネルギーが要る。それすらできない時もある。私たちの日々は思っている以上に「仕方がない」「そうするしかない」の成分が多いのかもしれないけれど、それでいいじゃないか。ひとまず生きていれば。

最近ほんと暑いですね。これを偶然読んでくれたあなたもどうか体を大切に。お風呂上がりのアイスでも目標にして私の1人暮らしの日々はこれからも“仕方がなく”続いていく。