夢を叶えられる確率ってどれくらいだろう。

さすがに「魔法少女になりたい」とかは言いませんが「服のブランド作りたい」とか言います。「お店ほしい」とか言います。

かなり本気で。社会人にもなって現実見れないのかって自分で思っています。でもそれは頭抱える感じではなくて、むしろ腹抱える感じで。夢って自由なんだな、と思います。

否定されることはあれど、思うのは自由ですから。寝ている時に見る夢も制御出来ないのだから、叶えたいと思う夢も多少は制御出来なくてもいいんじゃないかなって思います。

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誰の許可も必要じゃないのだから、否定を受けても夢をゴミ箱に捨てなくてもいい。その夢はきっと、また戻ってきますから。高校一年生、小説家という夢を私は捨てました。

もういいよ、こんな非現実的な夢。そう思っていたのにまた私はこうして形を変えて文章を書いています。消費するだけの人生は、どうやら私には合っていないようです。高校生の時から変わったのは、何もいきなり職業として書く必要性は無いって分かったこと。

それから、書くのを止める必要性もないと知ったこと。社会人になって気づいたのは、「夢を叶える方法」は知らないけれど「夢を切り捨てる方法」は知っていること。あまりにも残酷だと思いました。

それと同時に、これは誰のための人生なのだろうと薄ら笑いがこぼれてしまいました。つまらない人間にはなりたくないと私は強く思います。私の絵の具が弾け飛んでいる頭の中が変わってしまえば消費するだけの人生に成り下がります。何かを生み出す事をしなければ、私は私では無い。

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こうして文章で画面越しに関わる貴方に。ひとつお願いしてもいいでしょうか。ベッドに行って、電気を消して。今日寝たら、夢の中で私と一緒に絵の具を弾け飛ばして遊んでくれませんか?社会の歯車になって働くことは必要なこと。なりたかったものでなくてもやりたくない仕事でも、そういう仕事をやってくれる人がいるから世の中は成り立っている。

そんなこと、大人になったばかりの私でも分かることです。ただ、私は一緒に夢を見てほしいのです。許しがいらないことは知っていても、自分一人で夢を描くのは孤独で寂しいものなので。どうか一緒に、大人という仮面を捨てて夢を見てくれませんか。想像力だけを使って、したいこと、やりたいことを考えませんか。息苦しい世の中で、夢を抱くことを悪とするのはやめませんか。

私はもう、誰かの夢が潰されてしまうのを見たくはないのです。大人になるには、夢を見ることを辞めなければいけないと思いますか?私はそうは思いません。

抱えるものが増えれば責任も増えます。妥協で済めばいいけれど、諦めることも出てくる。私の母は、きっと私を育てるためにいくつものことを諦めてくれた。だから私も諦めることをしてきた。当たり前だと思っていたから。

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でも、いつまで経っても忘れない記憶があります。進路指導室。教師が2人。冷たい空気。やりたいことを言葉被せてまで否定されました。髪の毛が視界に入って下を向いていることに気づく。上がろうとする口角と、噛み締められている唇。スカートを握りしめて血管が浮き出ている手。悟られないように必死だった夢を諦めることへの葛藤。

教師2人の意見が、この世の全てだと思い込んだ。この世がそんな世界なのならば、私は夢を語ることは二度としない。そう覚悟を決めて、無理やり作った笑顔と高い声。

社会に出て歯車になることにがむしゃらになっても、自分が消えることはありませんでした。寧ろ、ことある事に顔を出す。夢と共存することは出来ないのでしょうか。その答えを知ることになるのはきっと数年後。その答えを知るまで、私はまた密かに夢を抱いて歩いて行こうと思います。

高校生の私。大人になって自分で責任を取るようになったら、また夢は追えるから。どうか心は殺さないままで。