今年の四月一日から、新社会人として私は働き始めた。働いている場所は、栃木県南部にある、人口十一万ほどの小さな地方都市だ。私が二十歳まで生まれ育った土地でもある。どうして、私は東京や他の土地で働く選択をしなかったのか。その理由を、語ってみたい。

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大学三年生にさしかかる春。新型コロナウイルスの蔓延がおさまりつつあったことを背景に、東京に住んでみたかった私は、幸いに両親の後押しもあり、上京することにした。そうして、大学に入学する妹と、世田谷区にある「下高井戸」という街に住み始めた。

下高井戸は下町風情が残り、ひとが好い住民が多く住んでいる街だった。衛生帽子に白い長靴をきっちりと履いて、特売のマグロを売る鮮魚店に、特製ナポリタンと美味しいコーヒーを提供してくれる喫茶店。お昼や夕飯時になると、下高井戸の住人がずらりと並ぶ、コロッケやメンチカツを売る大人気お惣菜屋さん。それに加えて、商店街を歩いていると、しゃらしゃらと鈴を鳴らすみたいに、楽しげに笑う住人をたくさん見かけたように思う。

大学四年生になると、自由な時間がたっぷりあったので、私は映画館に足を運ぶようになった。二ヶ月に一度発刊される、下高井戸シネマという映画館に上映パンフレットを見て、観に行く映画のあたりをつけたり、セレクトされた映画を上映する新宿の映画館を、何ヶ所か巡ったりと、映画を観に行くことは日常だった。

興味のある美術展があれば、そちらにも足を運ぶことはもちろん、キャロットケーキが大好きな私は、キャロットケーキを食べられるお店をピックアップし、わざわざ知らない街に降り立つなんてこともあった。

そう、夜空に満月がぷかぷか浮かぶみたいに、東京生活はとても楽しかった。しかし楽しい一方で、理由も分からないまま、なんだか疲れてしまうことが多かった。事務のバイト終わり、夕方の帰宅ラッシュに揺られて、兵馬俑を思い起こさせる、新宿駅や最寄駅の階段をのぼったり、自室のしいんとした雰囲気がさみしくて、訳もなくテレビを流したりすることに、少しずつ違和感を覚えるようになった。

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家族がいなければ文句を言われないし、気楽だ。気ままで心地よいところはあるけれど、東京でずっとこんな生活を続けるのかな。その延長線上で、果たして私は笑っているのか。帰省するたび、私はその問いと対峙することになった。しずくのようなそれは、私のなかに溜まってゆく。

地元の大型ショッピングセンターやスーパーはテナントが少なくなっているし、若者が遊べる場所はあまり存在しない。主な交通手段は車であり、気軽に行けるおしゃれなカフェも映画館もない。

それでも、なだらかな曲線を描く山々、ころんとした翠玉を思わせる水田をはじめ、遮るビル群がないために澄み渡る大きな空を見ては、すっと肌になじんだ印象を抱く。ああ、言葉には表せないけれど、なんだか良いなあと思う。ほっとする実家の布団にくるまっていると、私の居場所はここだ、という安心感がほかほか湧いてくる。

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ここ(地元)で、生きてみようかな。
そんな思いが浮かんできて、結局私は地元で働くことにした。週末は東京に出かけて、友人と遊びに行くこともしばしばだし、やっぱり地元は何もないなあ、とため息をつきたくなるときもある。

それでも、私は地元を選んだ。そうして、その選択をした自分に後悔をしていない。きっと、それが答えなのだろう。

足元の桜を楽しむようになった春の半ば頃、私は地元と真綿のように新しい気持ちで向き合っている。そしてその選択をした私に、背中をぽん、と押してみたい。私は自信を持って、地元で生きてゆく。